1 人生は苦である
1.1 人生は苦しいことの繰り返し
お釈迦様は「人生は苦である」という教えを残しているらしいです。
確かに、人生というものはしんどいことの繰り返しです。
教員をしたことがある人なら分かるはずなのですが、毎年毎年同じ授業をリピートします。どんな職業でも似たり寄ったりかもしれないのですが、この「リピート」の部分が多くないですか?
苦しいことが終わっても、また一年後くらいにそれをもう一度せねばならないのです。
今回の話題は、この「リピート」の部分を何とかできないかという話です。
1.2 「繰り返し」に苦しめられる優秀な人たち
京都大学には優秀な人たちが集まってきます。学生の10人に1人くらいは本当に優秀です。教員の場合は4人に1人くらいは優秀です。
さて、こうした能力値の高い人は人生がうまくいっているのでしょうか。
僕が観察した限りだと、ほとんどの場合で答えはノーです。
優秀な先生たちも授業のコマ数に圧迫されているように僕の目には映ります。どれだけ苦労して教えても、来年になればまた何もわかっていない学生が補充されます。なので次の年も授業を繰り返さなければなりません。コマ数が少なければそれでもいいのでしょうが、教えるコマ数が増えていくと研究に支障が出ます。精神的にもしんどいでしょう。
このように苦しむ彼らを見て、僕の「優秀さ信仰」は揺らぎ始めています。
昔の僕は結構ピュアで、「優秀な人なら人生何とかなる」と本気で信じていたのです。自分もこうした優秀な人の一人になりたいと本気で願い、研鑽を積んだものです。(今も積んでいます。)
しかし、優秀さと生き残る力には直接の相関関係がないことが分かってきました。「しんどいこと」を繰り返した先にあるのは、先輩の世代に比べてかなり低くなった退職金と、これまた先輩の世代に比べてかなり低くなった年金です。そもそも、そこまで行ける人も少数派でしょう。
どうすればよいのでしょう。
2 著作権を持とう
2.1 意外と近くにあったヒント
僕は現実逃避にアニメをよく見ます。その際に思うことが、「著作権っておいしいよな」です。
ライトノベルやゲームを原作としているアニメは意外と多いものです。最近僕がはまった『fate stay night』もゲームを原作としたアニメです。
ここで注目したいのがゲームのシナリオ(もしくはキャラクター)を創作した原作者が存在している点です。「奈須きのこ」というかなり卑猥な(?)ペンネームの持ち主らしいです。
この人には当然著作権というものが発生します。アニメ化するにも、この話を元にしたゲームの続きを作るにしても全てこの奈須きのこさんの許可がないとできません。さらに、新しく作ったアニメやゲームが売り上げを上げるたびに原作者である奈須きのこさんには印税というものが支払われるはずです。
厳密に言えば奈須きのこさんが印税システムを採用しているのか、キャラクター使用許可料をもらっているのかは分かりません。あるいは現在でも第一線でゲーム制作をされているのかもしれません。
重要なのは、Fate というコンテンツが消費される限り原作者の奈須きのこさんにはお金が入り続ける点です。創作というものは大変だと思います。しかし、一度創作してしまえば何度も何度も同じことを繰り返す必要がなくなるのです。
2.2 著作権は偉大
需要が生じるたびにもう一度創作を繰り返すのではなく消費者が勝手にお金を払っていく。この形に僕は一種の「解脱」を見ました。「解脱」とは、本来は逃れられないはずの「繰り返し」の苦痛のサイクルから逃れることです。
小説やゲームなどのフィクションに限らず、ブログや YouTube 等でも著作権が発生します。なので、需要が生じるたびに一から動画や投稿を作るのではなく、客が勝手に動画やブログ投稿を見て、著作権者にお金が入ります。ゆえに、我々はもう「繰り返し」の労働からは解放されているとも言えます。
Twitter 等の SNS 投稿にも著作権が発生します。なので、投稿内でamazon アフィリエイトなどで商品をす勧めておくと、その投稿をした1年後でも収益が発生したりします。これは本当です。
投稿1件1件から発生する収益はそんなに大きくないでしょうが、それが積み重なると小遣いくらいにはなるはずです。
正直言って SNS は害悪が非常に大きく僕は人に勧めていません。自分自身 YouTube で動画を投稿している以上、この言葉は重くは響かないとは思いますが、自分自身 YouTube のコメント欄を見て嫌な気持ちになることは多いです。
なので、著作権と アフィリエイトを狙うのならSNS ではなく ブログ等をやった方がいいですね。ブログの始め方などは僕以外のブロガーが詳しく解説しているのでそちらにお譲りします。
2.3 自費出版はやめとけ
ブログ以外でもありとあらゆる執筆物に著作権というものは働きます。書籍などがまさにその典型例ですが、本を出すのには慎重になった方がいいです。
出版社から声がかかるようなすごい人でない限り、本を出すためには自費出版する必要があります。これをやってしまうとほとんどの場合巨額の負債を抱えてしまいます。
なので、本を出したいのならまず出版社から声がかかるような実績作りに励んでください。僕は本を出したことがないので、どうしたらよいかは分かりません。
ただし、周りに本を出している人が多いので、どんな感じかはイメージできます。
大学教授で本を出している人は多くの場合論文集という形式をとります。個人名を出していいのか分かりませんが、京大言語学科の大変優秀な教授定延先生は、著作を沢山出しておられます。
僕は日本語の本をもう読まなくなってしまったので、定延先生の本はつまみ読みしかしたことがないのですが、多くの場合は定延先生が過去に出した論文集か、論文で書いたことを一般読者向けに分かりやすく解説したものです。
よって、研究者なら日々の研究をしっかりやるということを大前提としつつ、一種の「出口」として著作出版に励むとよいのでしょう。
ただし、国公立大学の教員の場合は印税というシステムが使えないはずなので、稿料(現行1枚当たり何円という収益のもらい方)になってしまいます。この方式だと僕が提唱する「解脱」にはなりません。
3 まとめ
生きている以上、「繰り返し」の呪縛からは逃れられない。必死に授業をしても、次年度にはまた何もわからない学生が補充され、また死に物狂いで授業をするということが終わりなく繰り返されていく。この「繰り返し」パートから逃れるための一つの手段が著作権である。一度ブログの記事を書くとか、YouTubeで動画を作るなりすれば、そのあとは消費者が勝手に動いて記事なり動画なりを消費していってくれる。普通の授業のように需要が生じるたびに繰り返す必要がないのだ。書籍にももちろん著作権が働くが、国公立の不大学教授なら印税というシステムを採用することができない。よって、「昔書いた本が売れるたびに収益になって老後も安泰」という、著作権の本来のいいところが全く見られない。
まとめ2
フィクション作家になりたい。