ちょっとだけ楽に生きるコツ あります。1

1「ちょっとだけ楽に生きる」とは?

僕は佛教校(佛教をカリキュラムに取り入れている学校)を卒業したので、「人生は苦である」というお釈迦様の教えが身に染みています。

そう、人生は苦なのです。

だから「苦しくない人生」なんてものは存在しないし、「なぜ生きているとこんなにしんどいこととに出会うのか」という問いも無意味なのです。

なぜなら人生は苦だからです。

人生というのはしんどいようにできています。しかし、少しの工夫でそのしんどさを和らげることもできるんじゃないかと僕は考えてきました。ゆえに「ちょっとだけ楽に生きる方法」というシリーズができました。

僕自身ニートを何年もやって、その後いろいろあって京都大学の大学院で言語学を専攻しています。「いろいろあって」の部分は語りたくありません。

僕自身本当に多くのしんどいことに出くわしてきました。確かにこうした人生の困難を真っ向勝負で乗り越えられるケースもあります。僕も昔は自分の力を信じていたので、何か困難に出くわすたびに真っ向勝負で戦ってきました。その結果得た知見は:

自分の努力や能力でどうにかなることは本当に少ない。です。

自分の記憶にある範囲で、自分の努力や能力で克服できたことなんて一つだけです。

多読5000万語したら洋書を読めるようになった。

これだけです。あとは運が良かったから勝てたとか、個人の努力ではどうこうできないところで負けたとか、そういう話になってきます。

ついでに言っておけば、努力したら洋書が読めるようになったという部分も実は努力が不要な部分なのです。母語習得に理解のある人なら、7歳以下の子供ならどんな言語でも母語として苦労せずに習得可能であるということを知っているはずです。

なので、もし僕の両親に言語習得の理解があったなら、僕は苦労せず英語を母語として習得していたでしょう。7歳以下で英会話学校に通わせるとか、0歳児のころからベビーシッターとして英語母語話者を雇うとか、やりようはあったはずです。

しかし、僕の両親には子供の母語習得に対する理解はありませんでした。なので僕が英語を本格的にやり始めたのは19歳のころです。

一方、中国では子供の母語習得に関する知見がよく広まっているようです。中国のエリート層は0歳児の子供に英語母語話者のベビーシッターをつけます。

こうして誕生した「英語母語話者に限りなく近い人たち」と僕は留学先の定員をめぐって争っているわけです。人生ハードモードでしょ?

「人生をちょっとだけ楽に生きるコツ」というのはこういうところにあります。ほんの少し情報戦で勝つとか、もしくは日々の努力にほんの少し工夫を加えるだけで、生きていくのがかなり楽になるはずです。

さて、僕が最初に用意する「人生を楽に生きるコツ」は勉強に関してです。

2 マイナー科目をやってみる

2.1 順位のしがらみから逃れることはできない

勉強をやるともれなくついて来るのが順位という概念です。どんな分野の学問をやっていようがこの順位という概念から逃れることはできません。

ある程度勉強を積んでしまうと、なんとなく自分が上・中・下のどこら辺にいるのかが分かってきてしまいます。これは仕方がありません。

そして残念なのが、ほとんどの人が下位に入るということです。自分も英語では下位層です。こうなってくると毎日が本当にハードモードです。

このしがらみから少しでも遠ざかる方法はないのかと僕は模索を続けてきました。そして僕が出した答えは:

ライバルが少ないところで戦う。です。

英語や数学のようにやっている人が多いところは単純にライバルが多いのです。こういう世界には「本当のつわもの」も一定数存在します。そしてこういう「本当のつわもの」に勝つことはほぼできません。

一方、マイナー科目は単純にやっている人の母集団が小さいのです。もちろん「つわものたち」も存在しますが、彼らと遭遇する可能性が低いのです。

2.2 実際にマイナー分野をやってみる

例えば、言語学という分野そのものが一種のマイナー分野です。数学や歴史学などと比べるとやっている人が少ないイメージがあります。

言語学の中にもメジャーな分野とメジャーな分野があります。ここで言う「マイナー・メジャー」とは、やっている人の多さに基づいています。要するに人気度の差であり、学問的重要度の差ではありません。

言語学でやっている人が多い分野というのは現在(2020年代)では、理論部門では圧倒的に認知言語学でしょう。1980年代では生成文法の方が圧倒的に人気だったのですが、今では見る影もありません。

昔は皆生成文法をやったと聞いています。生成文法でなければ言語学ではないという意見まであったらしいのですが、今では生成文法をやっている人は絶滅危惧種です。

つまり、今生成文法をやっている僕は本当に「レアキャラ」です。ポケモンで例えると伝説色違いくらいはレアな存在です。こうなると、周りで生成文法をやっている人がいないという事態が当たり前になってきます。

周りに自分と同じ分野をやっている人がいないとしんどいこともあります。認知言語学者がいちいち生成文法を酷評するのに耐えて一人で学問を進めていかねばなりません。楽なわけがありません。

しかし、良いこともあります。2020年代、「生成文法なんてオワコン」だと言われていますが、語順に関してはどうしても生成文法の知見が必要です。認知言語学者でも優秀な人はこのことを認めています。(優秀じゃない人はこの事実を頑なに認めたがりません。)するとどうなるか。言語学専攻の学生が語順に関して疑問を持った時、彼らは生成文法をやらねばなりません。そして、分からない場合は誰に質問に来ると思いますか。

僕ですよ。

ある意味僕は必要な存在なのですね。僕がこういう存在になっている理由はひとえに僕が生成文法という現代におけるマイナー科目をコツコツ勉強し続けたからなのです。まさに「芸は身を助ける」ですね。

もし僕が認知言語学等の人気科目をやっていたら、人に頼られるまでになるには相当の修練と優秀さが必要だったはずです。そのぶん、(京大では)ライバル不在の生成文法をやっていれば、努力だけで周りとの差をつけることができます。優秀さ(IQ)はこの段階では問われません。

今の世の中どこまで行ってもコモでティーです。コモでティーというのは要するに「あなたの代わりがいる」ということです。

例えば英語教師はコモディティーです。掃いて捨てるくらい代わりがいるからです。大学受験がなくなってきている現在、もう英語教師の英語における優秀さはそれほど問われなくなりました。教員免許を持っていて、可能な限り安く働いてくれる人ならもう誰でもいいのです。なので当然、英語教師は3年くらいでつぶれるように使われますし、現にそうして潰れて消えていってくれる方が使用者から見ると都合が良いのです。年次昇給が少なくて済みますからね。

しかし生成文法は違います。やっている人が極端に少ないのです。でも、需要があるのです。言語学をやるなら語順はほぼ不可避です。(語順を避けている言語学者も多い。)よって、どうしても生成文法家は必要なのです。

もちろん文系学問自体が縮小しているので、生成文法家の未来は絶望的です。言語学という部門が日本で縮小していくので、椅子取りゲームのそもそもの椅子の数が今後かなり減ってくる見込みです。

ただし、周りに意見を求められるとか、周りから必要とされるという意味で生成文法家は随分優遇されていると思います。

理系科目をやっている人たちからも一目置かれています。(物理学者等)

なので、需要があるけれどもやっている人が少ないマイナー科目をやってみると人生が少し変わるかもしれません。おすすめは生成文法です。洋書なら良質な教科書がいくつか手に入るので、それから読み進めるとよいでしょう。本格的な研究書ならやはり Chomsky が書いたものが群を抜いて素晴らしいです。数ある Chomsky の著作の中でも The Minimalist Program が僕の一番のお気に入りです、まさにアイデアの宝庫であり、生成文法をやる人ならこれを読まないと話になりません。アマゾンレビューでは「難しすぎる」とされていますが、僕の意見ではこれでもかなり易しい方です。これが読めないようなら生成文法はやらない方がいいです

3 まとめ

今回の話を一文にまとめると:

生成文法をやろう。になります。

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カテゴリー: Hiroaki

作成者: hiroaki

高校3年の時、模試で英語の成績が全国平均を下回っていた。そのせいか、英語の先生に「寺岡君、英語頑張っている感じなのに(笑)」と言われたこともある。 しかし、なんやかんや多読を6000万語くらい積んだら、ほとんどどんな英語文献にも対処できるようになった。(努力ってすごい) ゆえに、英語文献が読めないという人は全員努力不足ということなので、そういう人たちには、とことん冷たい。(努力を怠ると、それが正直に結果に出る) 今は、Fate Grand Order にはまってしまっていて、FGO 関連の記事が多い。