1 そろそろ生成文法以外も頑張る
こんにちは、生成文法家のヒロアキです。言語学を独学で勉強し、今は京大の大学院生をしています。
言語学には、認知言語学、音声学、歴史言語学や形態論などの様々な下位分野があります。一つの分野をある程度推し進めれば分かるのですが、これらの諸分野は相互に密接に結びついていいて、ある程度ほかの分野もやっていなければ前に進めなくなってきます。
幸か不幸か、僕はこれまで言語学を独学でやってきました。その際に取った方法がいわゆる「一点突破方式」です。生成文法に勉強時間の大半を割くことで、半年の準備期間で大学院に合格できました。
そのあとも成果を焦った僕は視野がどんどん狭くなり、生成文法にばかり傾倒していきました。早く成果を上げたかったというのが根本的な原因でした。まさに「功を急く」感じでしたね。
ただし、生成文法の勉強が進めば進むほど、生成文法の限界もわかってきました。(どれくらいやったのかについては固定ページの References を見てください。)生成文法だけでは言語現象全てを説明できません。ほかの分野からの知見がどうしても必要でした。
2 洋書が読めるというのは本当に便利
簡潔にまとめれば、言語学に関してはよい和書は本当に少ないです。解説の質と扱っている内容の量(ボリューム)の両面で僕を満足させる和書は本当に少ないのです。
それに対して、言語学に関しては、よい洋書がたくさん存在します。特に Cambridge, Oxford が出しているものは素晴らしいものが多いです。両者が出す書籍のあまりの質の高さから、僕は以前から「Oxford, Cambridge に外れなし」というキャッチコピーを(自分自身に)使ってきました。
最近はこのキャッチコピーを使って人に本を売ろうとしているのですが、未だに売り上げはゼロです。
話がそれましたが、こんなに素晴らしい洋書が世の中にはたくさんあるのに、それが読めなければ学習者としては人生ハードモードです。
幸か不幸か僕はこれまでに5000万語以上英語を多読してきた甲斐があり、難解な哲学書などを除き、洋書を大した苦労もせず読みこなすことができます。全ての単語を漏らさず読み、なおかつ早く読めるようにもなりました。いわゆる「ベタ読み」というやつです。(この技能は4000万語くらい多読したころから簡単な小説で既に使えていました。しかし今では簡単な専門書などでも使えるようになりました。)ただし、飛ばし読みである skiming は僕は今でも使えません。
この辺まで実力を上げておくと、図書館の洋書コーナーに行って言語学の任意の本を選んできて読むことができます。本当に便利です。
3 僕が選んだ(栄えある)本
ここ数日で大学の図書館から僕が選んできた本が以下の通りです。生成文法に関する書籍は除外しています。
Cliff Goddard (2011) Semantic Analysis– A Practical Introduction. 2nd edition. Oxford University Press.
Alan Cruse (2011) Meaning in Language: An Introduction to Semantics and Pragmatics. Oxford University Press.
William Croft (2012) Verbs. Oxford: Oxford University Press.
Vyvyan Evans (2019) Cognitive Linguistics: A Complete Guide. Edinburgh University Press.
単純に出版社で選んだものが3つと、本の分厚さで選んだものが一つです。一般的に分厚い本ほど説明が分かりやすいです。多くのページを割いて解説してくれているので当然ですね。
いずれの本もそれ相応の面白さがありましたし、読んでいて新たな発見がありました。意味論が得意とする単語の意味に関する研究は生成文法の守備範囲外にあるので、特に僕が得るものが大きかったです。
4 生成文法家、認知言語学を始める
生成文法と認知言語学はいわゆる「犬猿の仲」にあります。理由は単純で、ほぼ全ての認知言語学の本で生成文法が批判されているからです。
こういった事実があるので、僕は以前から認知言語学を本格的にやることを避けていました。生成文法に傾倒していたころは特にそうでした。しかし、今は自分の専門以外も知見を広げたいという思いがあります。
そういう事情で800ページ超の「怪物」であるCognitive Linguistics: A Complete Guide を読み始めました。
この本を読み進めるうちに分かったのが、生成文法と認知言語学では守備範囲が異なるということです。
例えば多義語。多義語とは一つの単語なのに多くの意味を持っているものを指します。認知言語学はこうした多義語の意味分析を得意としています。前置詞も沢山の意味を持っているので多義語と解釈していいでしょう。
Ther horse jumped over the fence.
The airplane flied over the hill.
The student thought over the problem.
このように over は一見多義語のように見えますが、「~を超えて」からイメージされる軌跡からの連想ゲームで全て処理できます。
認知言語学はこうした多義語の意味分析に長けていますが、生成文法はこうした分析には向きません。
よって、生成文法と認知言語学はどちらが良いというものではなく、お互いが相互補完する学問分野だと感じました。どちらを専門とする人でも両方をある程度やっておいて損はしないのではないでしょうか。
construction grammar には賛同できない
800ページあるCognitive Linguistics: A Complete Guide をざっと読んで、認知言語学にはどういう下位分野があって、何を考察しようとしているのかが分かってきました。
Cognitive Linguistics: A Complete Guide では、認知言語学の下位分野として construction grammar というものが紹介されています。construction grammar とは、構文一つ一つが意味を持っていると考える学問分野です。これまでの統語論(語順を扱う学問)が構文の細かい意味を扱えていなかったからこそ出てきた学問分野なのでしょう。
construction grammar が説明しようとしているのは以下のような文です。
What’s the fly doing in the soup? 「ハエがスープの中で何をしているんだ」⇒「なんでハエがスープの中に入っているんだ」
このように文字通りの解釈以外も可能な文が construction grammar の当初の考察対象のようでした。日本語にもこうした文字通りの解釈を許さない文が存在します。
例えば、
(校舎の裏でタバコを吸っているヤンキー生徒に向かって先生が)
「こんなところで何してんねん」
これは文字通り「何をしているのか」を尋ねた文ではなく、「こんなところでタバコを吸うなんていけないじゃないか」という裏の意味を持った発話です。文字通りの解釈をして「タバコを吸ってる」と答えた生徒は教師のさらなる怒りを誘発してしまいます。
こうした現象は生成文法では説明ができませんでした。そこで construction grammar では、構文一つづつに意味があるとして、この問題を解決したと主張しています。この主張を拡大し、全ての構文に意味がある、よって生成文法はいらないというとんでもない主張までしてしまっています。
construction grammar の論法には重大な欠点があって、「この構文はこういう意味だよね」という後付けの記述に終始している点です。なぜそうなるのか、またはどのようなメカニズムである構文がその意味を得るのかという考察が不十分です。僕が読んでいて思ったのが「この論法を許せばなんでも言えるじゃん」です。construction grammar がやっていることは完全に後付けであり、なぜ言語学という学問分野でこういうことが許容されているのか僕には全く分かりません。
認知言語学自体はのちの時代まで残ると思います。しかし、construction grammar は20年後くらいには無くなっているかもしれません。
認知言語学をやって見て良かったのが、生成文法は消えないとい確信を得ることができた点です。統語論のうち、認知言語学者が説明したと豪語する箇所は大体「後付け感」が否めなかったり、もしくは実際のところは何も説明していなかったりします。
確かに僕がやっている生成文法は前途多難だと思います。しかし、生鮮文法にとってかわる理論は今のところ存在しません。それだけは確かだと確信しました