どうも、ヒロアキです。
以前、「多読6000万語した結果」という記事を公開しました。
確かに、多読をある程度積めば、この記事で述べたように、読解力は伸びます。
しかし、それからしばらく、「くすぶっている感」が否めませんでした。
1 多読6000万語のその後
結論から言うと、かなり伸び悩んでいました。
というか、「自分に本当に実力があるのか?」と懐疑的にもなっていました。
というのも、僕は日常的に、英語論文しか読まなくなっていました。
そうすると、一読で理解できないことが圧倒的多数になります。そんな状況で、「オレ、実力ある」と思える人は、かなり変な人です。
特に、今年(2023年)の1月に Chomsky の新しい論文を見つけてからは、Chomsky の著作を中心に読んでいました。
まだ教科書などで解説されていない領域だけに、なかなか苦戦しました。今も苦戦しています。
その結果、どんどん自身を失っていきました。
2 知らぬ間に実力が伸びていた
今の僕にとって、「Chomsky の論文を読む」=「普通のこと」という認識なので、特にハードなことをしているという自覚はありませんでした。
しかし、今考えると、かなり疲弊していたのだと思います。
そこで、昨日(2023年4月2日)、1年ぶりくらいに和書を読みました。『サピエンス全史(上)』という本です。
かなり面白かったですね。この本に関しては、また別に記事を一本書きます。
そのあと、Chomsky の政治学の本も読みました。Language and Politics という本です。
この本は、2021年の末にブックオフ三条店で入手した物です。
しかし、当時の僕では、(英語が難しすぎて)手も足も出なかった覚えがあります。
そのころの僕は、5000万語近く英語の多読を積んでいました。それでも手も足も出なかった本です。
果たして、僕がこの本に手も足も出なかったのは、僕の才能が低すぎたのか、シンプルに多読の訓練量が足りなかったのか、真相は謎です。
(実のところ、両方だと僕は思っています)
さて、2023年4月にこの本を読んでみて思ったのが、「うわ、簡単すぎやろ」です。
本当にそう思ったのです。
結局、この経験で分かったことは、「多読を続けてさえいれば、知らぬ間に実力は上がる」ということです。
おそらく、僕が普段読む生成文法という分野は、そもそも抽象度が高いので、英語の読解力プラスαがないと太刀打ちできないのでしょう。
加えて、分野自体が進歩しているせいか、年々その抽象度も高まってきていると思います。
というわけで、かなり長い間「読んでも分からない」という経験を蓄積してしまい、自身を失っていましたが、どうやら英語を読む力そのものは伸びているようでした。