5文型やり直し~Chomsky 全制覇への道

こんにちは、ヒロアキです。

もう削除してしまった投稿の中で、僕は「大学に入ってから5文型をやり直した」という発言をしました。

その記事を書いている時は、別のことで頭がいっぱいでした。しかし、今改めて考えてみると、これはなかなかすごいことです。

なぜなら、大学に入ってから5文型をやり直さなければならなかった僕は今、Chomsky の言語学関連の著作全制覇に向かっているからです。

証拠は、以下の参考文献欄です。Chomsky の文献が沢山列挙されていることが確認できるはずです。

Chomsky は政治学で多くの論文を執筆しているので、さすがにそこまではカバーできません。

しかし、言語学に限って言えば、もう彼の著作の8割がたを読んだと思います。

これはまだゴールではありません。そもそも、こんなこと、生成文法家なら誰でもやって当然だと僕は思っています。

しかし、僕の大学入学当時の状況を鑑みると、自分でも「まあ、頑張った方じゃない?」と思えます。

なので、今回は、僕がこの「境地」に至るまでの経緯をまとめてみました。

1 18歳:5文型からやり直し

大学1年生の時、僕は5文型が分かっていませんでした

これは嘘偽りのない事実です。

さすがに、I made Tom wash the car. を「トムに車を洗わせた」と訳すことは知っていました。しかし、これは単なる丸暗記でした。

「この形を見たら、この訳」というように、受験参考書に載っていることを、理解もせずに暗記していたのです。その結果、こうなりました。

「なぜそういう意味になるのか」とか「背後にどういうメカニズムが働いているのか」といったことは、全く分かっていなかったのです。

なぜそんな奴が大学に受かるのか、それには京都大学の入試のシステムに問題があります。

京大の入試では多科目が問われます。そして、文系でも理系でも、合否に最も大きな影響を与えるのは数学の出来です。何せ、数学は1問30点なのですから。

ゆえに、英語の勉強にかけられる時間は本当に少なく、せいぜい全体の勉強時間の2~3割です。

これは、明らかに少ないです。はっきり言って、このレベルの勉強時間しか積んでいないのに、本格的な英語文献に当たるのは、さすがに無茶です。

しかし、受験だけを切り取ってみるならば、これは問題になりません。なぜなら、帰国子女などの例外を除いて、ライバルは皆こんな感じの勉強しているからです。

まさに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というやつです。

そんなわけで、僕みたいな「この形を見たらこの訳」というレベルの勉強しかしてこなくても、京都大学の入試を突破できてしまうのです。

もっと正確に言えば、「多科目×数学重視の配点という入試制度上、京大の入学試験を正面突破するためには、英語1科目にあまり多くの勉強時間を割くことはできず、英語に関しては、こうした表面的な勉強法に終始することを強いらる傾向にある」と言えるかもしれません。

とにもかくにも、18歳の時の自分は、「大学には受かったものの、英語文献には手も足も出ないし、そもそも英語に関して何も分かっていない」というモヤモヤ感を抱えていました。

そこで、大学1年の後期から、英語をしっかりやることを決意しました。

(「前期は何をしていたのか?」と問われそうですが、今はスルーします。)

当時の僕は、以下の二つの目標を立てました。

①文法を納得するまでしっかりやり直す

②多読を頑張る

文法に関しては『一生モノの英文法』という本で、これまで「分かったつもり」になっていたことを洗いました。

(当時は新書版しかありませんでしたが、今は CD 付きの『一生モノの英文法 Complete MP CD 付き』というバージョンがあります。今やる人は、こちら(CD付きの方)を勧めます。)

この本を読んで始めて知ったのが、The news made him happy. という5文型と呼ばれる構文では、The news made [him happy]. のように、一つの文の中にもう一つの文が隠れているということです。

確かに、him=happy ⇒ He is happy の関係性が生じていると考えると、この説は上手く機能します。「なるほど」と思いました。

その後も色々な本で英文法の勉強を続けました。おそらく、最も得るものが大きかっのは、『超人気講師のスーパー授業 竹岡式やり直し英語』でしょう。

この本は、僕のように英文法のことを理解しないまま高校を卒業してしまった人のために、英文法の大事なところを理屈でおさらいするという内容です。

僕と同じような境遇の人で、なおかつ、僕のように何でも理屈で納得したいという人には、かなり有用だと思います。

話はそれますが、当時の僕が偉かったのが、文法のやり直しだけでなく、きちんと多読もしていた点です。

このころは、『ラダーシリーズ』というシリーズをよく読んでいました。

ここまでだと、そこそこ順調にやれているように見えます。しかし、それも長くは続きませんでした。

2 19歳:死ぬかと思った

大学1年生の終わり、丁度春休みのことです。僕は、友達と二人でイギリス旅行に行きました。

それまでの半年くらい英語を頑張ってきたので、少しは英語が通じるかのではないかと、甘い考えを持っていました。しかし、全然ダメでした。

それはもう、本当に全然ダメでした。

現地の人が言っていることは全くわけが分からないし、こっちが何か言おうとしても、「あー」とか「えー」くらいしか言えませんでした。

読むほうも全然ダメで、標識や、博物館での展示品の説明なども、何が書いてあるのか、全く分かりませんでした。

言葉が全く通じない環境というのは、心理的に結構きつかったみたいです。その証拠に、5日目くらいになると、僕は「帰りたい」とこぼすようになりました。(全部で10日間の日程でした)

帰国してから考えたことは、「なぜここまでダメだったのか」です。今思い返せば、4技能全てがだめだったのだと思うのですが、当時自分が下した判断は、「スピーキングが足りていない」でした。

そこから、かなり迷走してしまいました。

当時の英語教育界での一番の有名人は、安河内哲也という予備校教師でした。

彼が書く教材はそれほど売れていなかったと記憶しています。しかし、色々な本や教材の帯に「安河内哲也氏推薦」という文言が載っていました。こうした帯や宣伝で彼のことを知った人も多いのではないでしょうか。おそらく、彼は我々アフィリエイターの先駆け的存在だったのではないかと思います。

さて、そんな安河内哲也氏は、英語勉強法の本を書いており、これが当時爆発的に売れました。

僕自身、この『できる人の英語勉強法』を購入し、そこで紹介されている方法を、まじめに実践しました。

この本では、音読の重要性が力説されています。僕は、その教えに忠実に従い、必死に音読を続けました。多読を減らして、音読重視の勉強法にシフトしました。

するとどうなったか。

英語力が全く伸びなくなりました。

マジです。

2~3年音読を続けましたが、目立った効果はありませんでした。

この時、「勉強法は人による」ということを痛いほど分からされました。

もちろん、音読が合う人にとって、音読は極めて効果的な勉強法なのでしょう。なので、僕は音読自体は否定しません。

しかし、世の中の全員がそういう人ではないということも、また確かなのです。

林修氏が書いた『受験必要論』という本には、「東大の入試で、英語で高得点を挙げた人に勉強法を聞いてみた。以外にも音読をしている人は少なかった。」旨が記載されています。

林修氏によると、勉強のほんとの上位者は、「この方法しかない」みたいな方法論の押し付けはしないそうです。しかし、ちょっと劣る層の人が教える側に回ると、自分が成功した方法を振りかざして、「この方法しかない」と強要するそうです。

林修氏のこの発言には、多読が売りの僕にも響くものがあります。しかし、僕の場合は、「勉強法は人による」ということを身に染みて分からされていますし、そもそも多読が向いていない人がいることも承知しています。だからこそ、「多読しかない」みたいな発言を一度もしたことがないのです。

さて、英語力が伸びなくなっても、求められることはどんどん増えていきます。

大学1年の時は、英語文献を大量に読むということは、あまり要求されていませんでした。

しかし、大学2年、3年と学年が上がるにつれ、次第にそういうことが要求され始めます。

僕が最初に大きくつまずいたのは、英文学の演習でした。”Dracula” という小説を原書で読むという内容でしたが、ここで全く歯が立ちませんでした。

その時のことは、別の投稿で触れているので、ここでは詳しくは扱いません。

当時の僕は、誇張ではなく本当に死ぬかと思いました。ここで、今日まで続く鬱も発症しました。

この演習は大学2年時の後期に履修したのですが、そのあとの春休みは、ずっとぐったりしていて、正直何をしたのかも覚えていません。

3 20歳:ぐったりしていた

このタイトルが示す通り、20歳の前半(大学3年時)は、ずっとぐったりしていました。

英語と縁を切ることも考えていました。今思えば、ここで縁を切っていた方が、あとあと幸せな人生になっていたと思っています。

よほど才能がなかったのですね。

因みに、「英語は言葉だ、才能なんて関係ない」というのは、100パーセント嘘です。

ちゃんと Cambridge が出している文献を引いて、これを論証できます。

まず、英語は言葉だからこそ、ある程度の年齢を過ぎると、できなくなります。

第一段階は7歳くらいで、ここまでにある言語に触れ始めると、よほどの例外を除き、その言語を母語として獲得できます。

第二段階は14歳くらいで、これまでに英語に浸かれる環境や、真剣に英語をやる機会があった人は、かなりの高確率で(10人に9人くらい)準ネイティブレベルになります。

準ネイティブレベルというのは、母語と言えないまでも、かなりの流暢さで扱える状態を指しています。

15歳以降は、どうやら生物学的に言語を母語として身につける力が(多くの場合)失われているようです。

ゆえに、この年齢まで達した場合は、外国語をスキルとして身につけるしかありません。

さらに、そうして外国語を身につけたとしても、その最高到達点は、決して母語レベルには届きません。(特にイントネーションや Inflexion「屈折」の面で)

そして、この事実(仮説ではなく事実)が正しければ、15歳以上で外国語を始める人たちの大多数にとっては、かなり悲惨な現状が待ち構えています。

それは、スキルの習得には、才能(IQ)がものすごく大きくかかわっているからです。

まさか、スキルの習得に個人の才能(IQ)は関係ないと、本気で信じている人は、さすがにいないでしょう。(いたとすれば、それはあまりにもナイーブすぎます)

もし、そうした「いかなるスキルの習得においても、個人の才能(IQ)は一切関係ない」という立場を貫くなら、かなり厳しい現状が待ち構えています。

もし本当にスキルの習得にIQが一切関係ないのなら、日本で一番IQの低い人でも、努力次第で勉強で1位になれます。

つまり、数学オリンピックで金メダルを取るとか、東大理化Ⅲ類に主席で合格するとか、司法試験に首席で合格するとか。こういったことが、努力次第で誰にでもできるはずなのです。もし個人の才能がスキルの習得に関係ないとすれば。

さらに、もしこうしたことが達成できないのなら、それは全て個人の努力不足に帰されることでしょう。(もし才能とスキルの習得が無関係という立場を貫くなら)

少し考えれば分かることですが、勉強にも、ありとあらゆるスキル習得にも、才能は死ぬほど関係があります。人間が習得しているスキルっぽい物の内、唯一母語だけが IQ に関係なく習得できます。

Noma Chomsky は、ここに注目して、母語は実は習得しているのではなく、生物学的にできるようになっていると主張しています。そう、ちょうど、免疫システムを習得しなくても勝手に白血球が細菌と戦ってくれるように。

そんなわけで、何をするにも、才能は本当に大きな要因です。

そして、僕は語学の才能が豊かではありませんでした。

思い返せば、それを示唆することは、人生で何度か起きています。

僕が通っていた高校では、居残りして自習ができます。高3のある日、僕が自主的に居残りして英語を自習していると、英語の先生が部屋に入ってきて、僕に「寺岡君(僕の本名)、英語頑張ってる感じなのに(笑)・・・」と言ってきました。

「英語頑張っている感じなのに・・・」の後には、「それで模擬試験で全国平均を下回っている」という事実が続くのだと思います。

これを言われたその時は「ああ」という感じでしたが、今では、「やっぱり才能なかったんだな」と思うようになりました。

そんなわけで、才能がないままずるずるやって、案の定メンタルをやられたのが、20歳の時の僕でした。

20歳の前半(大学3年時の前半)をこうして(無為に)過ごしていたのですが、幸か不幸か、転機が訪れます。

当時は英文学を専攻していたのですが、教授に煽られてしまうという事件が発生したのです。

まあ、思い返せばしょうもないことなのですが、教授に「お前英検1級持ってないくせに」みたいなことを言われてしまいました。

そこで、僕は準備期間僅か数か月で英検1級を取りました。

これが良くなかったのでしょうね。教授は以後、僕から逃げるようになり、僕はますます孤立を深めました。

一番よくなかったのが、英検1級に向けて勉強したことです。このテストは、受かるための努力をすることで、英語の素人には戻れなくなるようになっています。

英語を趣味でやっている、そこら辺のおじさんは、なかなか一発で英検1級に受からないでしょう。

なので、アマチュア(愛好家)の域から出なければなりません。

しかし、ここが英検1級のもっと悪いところなのですが、この程度では、英語のプロにはなりません。

なので、英検1級のために準備をすると、英語のアマチュア(愛好家)でも、プロでもない、なんだか良く分からない存在になります。

4 21歳:多読を始める

ここら辺の話は、以前の投稿で触れています。

英語偏差値45から多読1000万語した結果 – 言語学研究家・Hiroaki (linguist-ht.com)

要旨:多読1000万語したら、簡単な洋書が読めるようになってきた。

英検1級対策の延長線上で、どうしても単語帳で語彙を増やす勉強ばかりしてしまっていました。

それでも一定の効果はありました。しかし、洋書などのまとまった長さの英文をどんどん読んでいく力は、なかなかつきませんでした。

よく、巷の英語講師(例:植田一三)が、「このレベルの人は、雑誌『CNN English Express』をやりましょう」と言っています。

僕もその教えを守って、きちんと『CNN English Express』を、バックナンバーで90冊くらいやりこみました。

確かに、一定の効果はありましたが、触れる英文の量が圧倒的に足りていなかったようです。

それを補うためではなく、趣向を変えるために多読を開始しました。

しかし、これが結構自分の性にあっていて、どんどん続けられました。

その後は、あくまで結果論になってしまいますが、1年づつくらいのペースで、読む物の難易度が徐々に上がっていきました。

計画して難易度を上げていったとか、そういうことは一切ありません。

そういう風に自分の実力が上がってきたのです。(ただ、大学院に入ってからは、研究のために、かなり急いたレベルの上げ方を強行している節があります。この付けは、本当に大きいいです。)

今となっては、言語学でも(おそらく)かなり難易度の高い方である Noma Chomsky の著作を習慣的に読むようになりました。

よほど Chomsky が好きなのか、Chomsky の論文を集めて、自分だけの Chomsky 論文集まで作っています。

作成者: hiroaki

高校3年の時、模試で英語の成績が全国平均を下回っていた。そのせいか、英語の先生に「寺岡君、英語頑張っている感じなのに(笑)」と言われたこともある。 しかし、なんやかんや多読を6000万語くらい積んだら、ほとんどどんな英語文献にも対処できるようになった。(努力ってすごい) ゆえに、英語文献が読めないという人は全員努力不足ということなので、そういう人たちには、とことん冷たい。(努力を怠ると、それが正直に結果に出る) 今は、Fate Grand Order にはまってしまっていて、FGO 関連の記事が多い。