母語というものは完全に日常生活に溶け込んでいて、日々の生活の中で「母語って不思議だな」と思う人は少数派だと思います。
しかし、言語について研究することを生業(?)とする僕からすると、母語には言語学がいまだに解決できていない不思議なポイントがいくつもあります。
あまり細かいことをここで書いても読者を混乱させるだけなので、今回は母語習得に的を絞って書いていきます。
母語の不思議ポイント1 。誰でも習得が可能
母語というものは誰でも習得が可能です。「何を当たり前のことを言っているのだ」と思われそうですが、本当はこれはとてもすごいことなのです。
少し考えてみてください、誰でも習得可能なスキルっていくつありますか。
数学は一部の賢い人たちにしか習得できません。PCスキルだって頭の弱い人には習得不可能でしょう。
一方、母語は全ての人に習得が可能です。ごく少数の例外は存在するのですが、それを除けば全員が母語を習得できます。
もっと言えば、耳が全く聞こえない等の事情で母語に全くアクセスできない場合は、新しい言語を作ってそれを母語として習得するという事例も報告されています。(以下の記事を参照してください。)
つまり、他のスキルとは違い、母語は学習者のIQに影響を受けず、誰にでも習得可能なのです。
もちろん、IQの高い子供の方が早く語彙を習得するといった、子供のIQによる母語習得の速度差は存在するかもしれません。しかし、結果として誰でも母語を習得可能なのです。
もっと厳密に言えばだれでも母語の syntax (文法)を習得可能なのです。(ここは厳密過ぎたか・・・)
母語の不思議ポイント2。明らかに習得が早すぎる。
Cambridge Handbook of Child Language という本を最近読み始めました。母語習得についての本です。
この本には、1歳8か月の子供や、2歳4か月の子供の発話を文字に起こしたものが載っています。それを読んで驚くのが、彼らの発話が文法の面では合格点に達しているという点です。
もちろん大人の使う文法と多少違いはあります。しかし、こうした幼児の発話は語彙こそ貧弱なものの、文法の面では相当完成に近いレベルにあるのです。
つまり、文法に関しては、子供は生まれてからたった2~3年で7合目くらいまで習得してしまうのです。
これは、さすがに早すぎませんか?
よく比較対象として挙げられるのが外国語です。外国語は10~20年訓練しないと一人前にならないと言われています。さらに、たとえそれ以上長く訓練したとしても決して母語レベルにはならないと言われています。
外国語と母語はどちらも言語という点で同じはずなのに、やり始める年齢(7歳以下かどうか)でこれほどまでの差が生まれてしまうのです。
なぜ母語はこれほど早く習得できてしまうのでしょうか。また、なぜ外国語を母語として習得できないのでしょうか。
この疑問に真剣に取り組んだ言語学者がいます。ノーム・チョムスキーという人で、生成文法の生みの親です。生成文法については彼の著作を参照してもらうとして、今回はチョムスキーが提示した仮説を見てみましょう。
(1)人間は生物学的に言語を持って生まれている。
そう、言語は生物学的なものなのです。我々が二足歩行でバランスが取れるのと似たような仕組みで成り立っているのです。
二足歩行でバランスを取ることはロボットに真似をさせようとしても意外と難しく、Google 等が最近になってまともな物を開発しました。しかし、Google が作ったロボットも、所詮倒れそうになったら自分でバランスをとって元の姿勢に戻る程度のことしかできません。
コップに水を入れて、その水をこぼさないように階段を上るといった高度なバランス機能は持っていません。
それに対して大多数の人間は、特に苦労もせずに二足歩行でバランスが取れるようになります。
なぜそんなことができるかというと、それが人間という種族が持っている能力だからです。
なので、生まれてからそういうバランスのとり方を習得するのではなく、もうそういう体の扱い方を持って生まれているのです。
後は幼少期に立とうとすることで脳内のバランス感覚をつかさどる部位が刺激されて、バランスが取れるようになるという仕組みです。
チョムスキー曰く、母語の場合も話はほぼ同じです。人間という種族は元々母語を習得できるように生まれてきており、やはり幼少期の経験が引き金となって母語が使えるようになります。
だからこそ、どんなIQの子供でも母語ができるようになるのです。
もし Chomsky が言うように母語が生物学的な物だとすると、外国語を母語のように習得できない理由も説明できます。
生物学の有名な実験で、猫や鳥を体が動かないように固定するというものがあります。生後数週間こうして固定された猫や鳥は、翼や手足はあるものの、それらを正常に操ることができなくなります。
鳥の場合は飛べなくなるし、猫の場合はバランスが取れなくなります。筋肉はあるのに、それをどう使うかが分からなくなるのです。
つまり、生後ある一定期間以内に刺激を与えなければ、本来ならば問題なくできていたことができなくなってしまうのです。
これと同じことが外国語でも起こっているのです。
つまり、ある年齢を超えると、外国語はスキルとして習得するしかないのです。
母語の不思議ポイント3。習得しないことを選べない。
母語を習得するのに適した年齢(7歳以下)で、母語を習得するのに適した環境(習得目標の言語で意思を疎通しないと生きていけない)がそろっているのにも関わらず、自分の意思で母語を習得しなかった人は何人いますか?
多分0人でしょう。
もし母語が本当にスキルならば、他のスキル同様「習得しない」という選択肢が用意されているはずです。
しかし、我々は母語を習得しないという選択肢を選ぶことができません。
それは何故か。やはり母語が生物学的な物だからでしょう。
食べ物を消化する能力、二足歩行する能力、物を見る能力、これら生物学的に備わっている能力と同列に母語を扱うべきだというのが Chomsky の意見です。
まとめ
母語をスキルだと考えるとたくさんの矛盾に行きつく。そこで、発想を転換し、母語を「二足歩行をする能力」のように生物学的な能力だと考えると、こうした無人点は解消される。
因みに、認知言語学という分野では、母語は練習で身につけられるとしている。(つまり母語はスキル)