【生成文法の最前線】Workspace 理論

1 Merge の問題点:これまでの理論の限界

生成文法の世界では、これまで、Merge で要素を作っていると仮定していました。

Merge というのは、簡単に言えば、「くっつける操作」です。

(1)Merge X and Y ⇒ Z

X と Y をくっつけて Z という要素を作り出します。

the + book ⇒ the book  みたいな感じです。

さて、ここで問題となるのが、Chomsky がこの論文 (Chomsky 2019b) で指摘しているような、「X と Y はどこに消えたのか問題」と、「X と Y はどこから消えたのか問題」です。

確かに、(1) のような定義の仕方だと、Merge されたものがどこかに消えているように見えます。(1)の定義では、X と Y がどこかに消えているように見えます。

Chomsky 自身が指摘しているように、これは明らかな間違いです。

Merge された要素は、消えません。

それを示すために、Merge の定義を少しいじらなければなりません。

(2)Merge X and Y ⇒ {X, Y}

Chomsky (2013a) 等では、(2)の定義が採用されています。

(2)なら、Merge された要素が消えていないことが分かります。

しかし、まだ改良が必要です。「X と Y がどこから消えたのか」問題に関連しています。

(1)の定義では、Merge された X と Y は Z にとって代わられ、どこかに消え失せています。(2)の定義はその問題を克服していますが、(1)で生じた「X と Y がどこかから消されている。どこから消されたのか」という興味深い問いに答えていません。

そこで登場したのが Workspace 理論です。Workspace というのは、Merge が適用できる範囲のことで、語彙などの Syntactic Object で構成されています。

(1)の定義では、X と Y は、この Workspace から削除されているのです。

そして、(2)の定義は、Workspace を反映していません。

昔、Chomsky (2000) が、一回一回の Merge のために、いちいち Lexicon (脳内にある全単語の集合体:辞書)から語彙を選んできているはずがないという主張をしました。

その時彼が使った例えが、車とプラントです。

車を走らせるために、我々は、ガソリンを車のタンクに入れます。

タンクが小さすぎて、車一台一台が、ガソリン精製プラントを積まなければならないようなら、すごく不便ですよね。

人間の言語も同じです。

一回一回の Merge のために、いちいち Lexicon (成人なら6万くらいの単語が入っている)から要素を探していては、すごい労力が必要です。

まさに、ガソリンのタンクが小さすぎて、ガソリン精製プラントを積んで走らなければならない自動車のようです。(ちょっと走るのにもすごい労力が必要)

そこで、文を組み立てる際に使用する単語を、最初から Workspace という場所に置いておく、という感じでとらえれば大丈夫です。

Working Memory (作業記憶)が働く場所だという捉え方もできます。

UCLA Lectures で、Chomsky は、Merge は Workspace (WS) に作用するものだと主張しています。これまでの、Merge は (X や Y といった)要素に作用するものである、という定義とは異なっています。

例えば、

(3)WS = [ a, b, c, d ]

上の [ ] で囲ん部分が workspace です。

Merge は WS に作用し、新しい workspace である WS’ を作り出します。

つまり、上の WS に Merge を適用し、a と b をくっつけると、新しい Workspace である、

(4)WS’ = [ {a, b} c, d ]

が完成します。

オリジナルの WS には、アクセス可能な要素が4つ存在していました。a, b, c, d がそうです。

これらは Merge の適用対象内です。

一方、WS’ には、元々あった a, b, c, d に加え、Merge が適用可能な要素 (Syntactic Object) が新たに1つ加わりました。

{a, b} がその要素です。

つまり、Merge 適用後の新しい WS には、Merge が適用できる要素が、合計で 5つ存在します。a, b, c, d, {a, b} の5つです。

Chomsky (2019a) 曰く、Merge というのは Object (要素)を作り出す操作です。ということは、Merge するたびにアクセス可能な要素が一つづつ増えていくのは、自然です。

重要なのは、{a,b} でひとかたまりの要素になっていることです。また、その内部の a, b も、それぞれがまだ 「見えている(=アクセス可能=さらなる Merge に使える)」ことも重要です。

この、Workspace 理論 に基づく Merge を、MERGE と呼びます。大文字で表記します。

(これは、本当に最近出てきた考え方で、こんなことが読めるブログは、日本でも多分これだけ。)

Workspace に基づく考え方には、いくつかのメリットがあります。

MERGE のメリット1Internal Merge とExternal Merge の対称性を確保

Merge は、Internal Merge と External Merge の2種類がある問うことは、以前から言われていました。

昔風の説明をするなら、External Merge は語彙同士をくっつける操作です。

(5)Merge (X, Y) ⇒ {X, Y}

昔は、Lexicon (脳内にある全単語の集合体)からいちいち要素を取り出してきて、Merge に使っていると考えられていました。

例えば、既に出来上がっている {X, Y} に、Lexicon から Z を取り出してきて Merge すると,

{Z. {X. Y} } が完成します。

例えば、X=the, Y=book, Z=read なら、

{X, Y} ={the, book}, {Z, {X, Y}} = {read, {the, book}}  

となります。

一方、Internal Merge は、昔「移動」と呼ばれていた操作です。

{X. Y} まで完成したとします。

この時、Z が Y の内部に存在する時、それを {X, Y} そのものと Merge して、{Z, {X, Y}} を作ります。

例を挙げるなら、

(6)I wonder {which book { you {read {which book}}}}

です。この場合、

X=you, Y=read which book, Z= which book

です。

(6)を見れば、Y の中に which book のコピーが残っていることが分かるはずです。

Chomsky は、External Merge も Internal Merge も、どちらも Merge の一種であるという主張を展開しています。

確かに、Internal Merge も、Y の中から要素 Z を取り出して {X, Y] に Merge していることから、「どちらも Merge の一種」という主張は、ある程度の妥当性があります。

しかし、Internal Merge と External Merge の間には、大きな違いがあります。それは、Internal Merge はコピーを残すが、External Merge では、コピーができないことです。

(5)と(6)を見れば、大体分かるはずです。

Internal Merge を行えば、必ずコピーができます。(昔は、移動の痕跡と呼ばれていたもの。)

一方、External Merge をしても、そのようなコピーは誕生しません。

ということは、「Merge という同じ一つの操作」であるはずの Internal Merge と External Merge の間には、克服しがたい非対称性が存在するのです。

Chomsky (2019a, b) によれば、Workspace を使った理論(MERGE) では、この非対称性が克服されているそうです。

まず、External Merge は既に見た通り、

(7)WS= [a, b, c, d]

これに MERGE を適用し、新たな workspace である WS’ を生み出します。

(8)WS’=[{a, b}, c, d]

Chomsky (2019a) は、この場合、2つのコピーが誕生していると主張しています。

実は、僕はまだ、この点が良く分かりません。

新しくできた WS にある a, b がコピーなのでしょうか。それとも、元々の WS 内にある a, b がコピーとして残るという意味なのでしょうか。はたまた、このどちらでもない意味なのでしょうか。良く分かりません。

とにかく、 Chomsky は、MERGE はいつも2つのコピーを作ると主張しています。

そして、Internal Merge の場合は

(8)WS=[{a, b] c. d]

のような WS が既にあったとして、そこにMERGE を適用し、新しいWS

(9)WS’=[{{a, b}, a}, c. d]

を生み出します。

MERGE が適用されるごとに、アクセス可能な Syntactic Object の数は1つつ増えます。2つ増えたらアウトです。

(9)は、実は2つ増えています。

(8)の場合は、アクセス可能な Syntactic Object の数は5つです。a, b, c, d, {a, b} の5つです。

(9)には、アクセス可能な Syntactic Object が7つ存在します。a, b, c, d, {a, b}, {{a, b} a}、そして、二つ目の a です。

Chomsky 曰く、人間の脳は、「馬鹿」なので、Minimal Search は一つ目の a しか見つけられません。一つ目の a とは、もう一方を c-command している方です。

下の (9′) で、太字イタリック(斜体)になっている方の a が、アクセス可能な a です。

(9’)WS’=[{{a, b}, a}, c. d]

要するに、「移動してきた方」です。

そして、Internal Merge の際も、MERGE はいつも2つのコピーを作ると Chomsky (2019a) は主張しています。

しかし、僕は、いまだにこの主張がつかめていません。

とにもかくにも、Internal Merge も、External Merge も、2つのコピーを作ると Chomsky は主張しておいます。これで、Internal Merge と External Merge の間にあった非対称性は解消されたと彼は主張しています。

MERGE のメリットその2:Merge の亜種である parallel merge や、Sideway Merge が正しくないことを立証できる。

MERGE は Workspace に作用し、アクセス可能な要素の数を一つだけ増やす。ということは、既に見ました。

だとすると、そうでない操作は、Merge の亜種としてふさわしくないと言えます。

上に挙げた論文で攻撃されているのは、Sideway Merge や Parallel Merge です。

これらの操作は、アクセス可能な要素を無秩序に増やします。詳しくは、論文を見てください。

さて、こうした Merge の亜種は、何故か人気で、(Chomsky が引退した後の)MIT の博論でも、これらを使った分析が散見されます。

僕が、「MIT の博論の質が (Chomsky が引退した後に)落ちた」と繰り返し言う理由の一つがこれです。

作成者: hiroaki

高校3年の時、模試で英語の成績が全国平均を下回っていた。そのせいか、英語の先生に「寺岡君、英語頑張っている感じなのに(笑)」と言われたこともある。 しかし、なんやかんや多読を6000万語くらい積んだら、ほとんどどんな英語文献にも対処できるようになった。(努力ってすごい) ゆえに、英語文献が読めないという人は全員努力不足ということなので、そういう人たちには、とことん冷たい。(努力を怠ると、それが正直に結果に出る) 今は、Fate Grand Order にはまってしまっていて、FGO 関連の記事が多い。