【成果報告】2~3月は「足踏み」だった【Strong Minimalist Thesis に挑む】

どうも、ヒロアキです。生成文法家です。今回は、この春休みの成果報告と、Strong Minimalist Thesis について書きます。

1 Strong Minimalist Thesis とは

僕は生成文法の中でも、Strong Minimalist Thesis (SMT) という理論を追っているつもりです。

Strong Minimalist Thesis というのは、Minimalit Program を厳密に推し進めていこうという考え方です。

この考えでネックになるのが、人間の言語機能を司るシステムをどれだけ簡素化できるのかです。

生成文法では、言語は生物学的な物だと考えられています。要するに、人間は進化の結果言語機能を獲得したという考え方を採用しています。

さて、本当に人間が進化によって言語機能を獲得したのなら、人間の言語機能は、「進化によって獲得できるくらいシンプル」でなければなりません。

それでいながら、人間の言語機能は、かなり豊富な言語表現を生み出せます。つまり、人間の言語機能は、それらの表現を生み出せるくらいは複雑なシステムでなければなりません。

Chomsky (2021) では、この相反する前提条件をどうやってクリアするのかが生成文法の大きな問題になってくると論じられています。

因みに、目下、生成文法では、人間の言語機能を Merge と Agree のみに簡素化する方向で動いています。(Merge とは、要素同士をくっつける操作で、Agree は一致です)

このように、「人間の言語機能を支えるシステムをどれだけ簡素化できるのか」という問題に対する解決策を探っているのが、生成文法家の中でも、Strong Minimalist Thesis 論者なのです。

厳密には、Strong Minimalist Thesis 論者と、他の生成文法家を分ける意味はないのかもしれません。

しかし、ここではあえて分けて考えます。

ある人が Strong Minimalist Thesis 論者かそうでないのかを、かなり高確率で当てる方法があります。

その人の参考文献リストをチェックすれば、大抵分かります。

Strong Minimalist Thesis 論者の特徴は、Chomsky の最新の文献が載っていることです。「最新」と言っても、「その人が入手できる範囲での最新」とか、その程度の意味です。

僕の場合は、2023年4月にこれを書いているのですが、Chomsky (2021) あたりが入手できる最新の文献でした。

一方、SMT 論者ではない生成文法家の場合、2020年代でも、Chomsky (2008) くらいが Chomsky の「最新」の文献として挙げられています。そして、2020年代でも Chomsky (2008) くらいの理論を用いて、様々な言語現象を分析しようとしています。

Chomsky (2014) で彼自身が言っていることですが、Stromng Minimalist Thesis (SMT) を追うか追わないのかは、基本的に自由なのだそうです。僕もそう思います。現に、2020年くらいに提出された MIT の博論でも、Chomsky (2008) 意向の文献が参考文献欄に載っていないケースがあります。なので、SMT にこだわる必要は、無いのかもしれません。

因みに、なぜ SMT 論者が Chomsky の最新の文献を追うのかといえば、それは、Chomsky 自身が SMT 論者だからです。

なので、SMT の世界で戦っていくためには、その第一人者である Chomsky 自身の最新の文献に目を通しておく必要があるのです。

それ以外の「生成文法家」は、Cambridge University Press 等、欧米の出版社が出している教科書で普通に説明されているような、Chomsky (2008) くらいまでの理論を使っていても、全く問題がないのです。

しかし、SMT 論者なら、話は別です。SMT 論者なら、とにかく Chomsky の最新の著作を追い続ける必要があります。

Chomsky は2010年以降、「どれだけ Minimalist Program を突き詰めて実行できるのか」にとことんチャレンジしてきたように、僕は思います。

生成文法は、1980年代の終わりくらいまで、規則の数や head の数を増やすことにより、descriptive adequacy というものを拡充してきました。

descriptive adequacy というのは、「細かな意味の違いなどをきちんと記述すること」という理解で良いと思います。

つまり、分析のために使う道具の数を増やし続けることで、生成文法は色々な言語現象を「説明」してきたのです。

しかし、実のところ、これは「説明」とは言い難いです。

Chomsky (2021) によると、説明のための道具の数を減らして、「これは進化で獲得したと言える」くらいシンプルな道具のみを使って諸々の言語現象を説明できた時、本当の意味での「説明」をしたことになる、らしいです。

僕もこの考えには賛成しています。

そこで、どれだけ説明のために必要な道具を減らすことができるのかという、一種のチャレンジとして、Minimalist Program というものが始まりました。1990年代のことです。

Chomsky 曰く、Minimalist Program というのは、その名が示す通り、単なる Research program に過ぎないそうです。

Research program というのは、「研究プログラム」とか「研究計画」というのが適訳なのではないでしょうか。

なので、Minimalist Program という理論があるのではなく、単なる研究目標でしかないのです Chomsky (2014)。

Chomsky は、1990年代からずっとこの研究目標を推し進めてきました。ということは、1990年代の Minimalist より、2000年代の Minimalist の方がより Minimalist です。(より少ない道具を使っているということ)

もっと言えば、2000年代の Minimalist より、2010年代の Minimalist の方がより Minimalist です。

そういうわけで、僕のような SMT 論者は、絶えず Chomsky の最新の論文を追い続けるのです。

さて、ここまでが Strong Minimalist Thesis の話でした。そして、ここからが、この春休みの僕の成果報告みたいなものをします。

2 2023年の2~3月:足踏み

2~3月というのは、大学では春休みの時期です。

「春休み」というのは、「授業がないので、自分の勉強を推し進める時期」という意味です。「一種の蓄える期間」と言い換えることもできます。

さて、僕の今回の春休みはどうだったのでしょうか。きちんと蓄えられたのでしょうか。

結論から言えば、足踏みでした。

あまり文献を読み進めることができませんでした。

要因は2つほどあります。

① 燃え尽き

② Chomsky の文献ばかり読んでしまった

燃え尽きに関しては、MIT が主な原因です。海外の大学院を受けるのは、論文を一本提出するのが普通です。

11月に受験を決意して、12月半ばの提出期限に間に合るように、かなり無茶をして頑張りました。

結果、僅か1か月ほどで、40ページの英語論文を書き上げました。しかし、その後、燃え尽き症候群のようなものを発症してしまいました。

論文を読んでも異常に疲れるし、キーボードを打つにも異常なほどミスを連発するようになりました。

そして、年が明けるころには、レポートのシーズンがやってきてしまうのです。

結局2月中旬くらいまでレポート課題と戦い続けました。

そうやって書いたレポートの内の一本が下です。

こうして、2月中旬まで燃え尽き症候群を引きずってしまいました。

それからは、自由な時間が手に入ったので、研究に専念するつもりでした。

しかし、あまり成果は上がらなかったですね。

その理由として、一つには、やはり燃え尽きていたことが挙げられます。論文を少し読んだだけで疲れるのようになっていたので、「猛ダッシュ」ができなくなっていました。

さらに、Chomsky の論文ばかり読んでいたことも、あまり勉強が進まなかった要因となっています。

僕の周りには、生成文法家が一人もいません。さらに、Google 検索なんて、ほとんどしてきませんでした。

その結果、Chomsky (2016) が彼の最後の論文だと、本気で信じていました。

しかし、今年(2023年)の1月に、偶然 Chomsky (2021) を見つけました。Google で Chomsky と検索した時にヒットしたのです。

この論文の参考文献には、Chomsky の2016年以降の重要な論文がいくつか載っていました。

SMT 論者である僕は、当然こうした論文の内容をカバーしていなければなりません。また、そうした論文で重要文献として扱われている著作も、当然読んでいなければ話になりません。

こういう物を合計すると、かなりの量になります。どう例えたらいいか分かりませんが、数2までしかやっていなくて、さらに数学が数2までしかないと勘違いしている人に、数3という科目があると知らせた時、数か月前の僕のような反応をするでしょう。

というわけで、絶対に「猛ダッシュ」できない時に、猛ダッシュを強いらされたわけです。

僕は文系ですが数3もやっています。その僕が言うので許してほしいのですが、Chomsky の最近の著作は、数3ほど易しくはありません。しかも、全て英語です。

そうして、この2か月ほどは、Chpomsky の新しい論文を中心に読んでいました。しかし、なかなかすっと読めるようなものではありません。一読で内容が容易に理解できるよなことは決してありません。

なので、何度も何度も読み返しました。それでも分からない個所だらけです。

さて、僕は自分の参考文献リストを公開しています。これは、自分がどれだけ勉強したのかの成果報告もかねています。

2022年の後期は、授業の課題(歴史学は一週間に英語論文100ページ)をこなしながらも、コンスタントに参考文献リストの拡充ができました。

具体的に言うと、授業の課題をこなしながらも自分の勉強をある程度できたので、参考文献リストが 6ページ⇒8ページ⇒10ページ、というように、順調に長くなっていきました。

しかし、春休みになって、授業の課題はおろか、授業そのものもなくなったにもかかわらず、この2か月で、僕の参考文献リストは、10ページ⇒11ページにしか増加していません。

(下がその参考文献リストへのリンクです)

総括すると、燃え尽きている時に、Chomsky のようなあまり難しい論文を読むのは、よくなかったようです。

おかげで、4月になって春休みが終わるころになっても、まだ疲労が抜けていません。

そして、MIT には落ちていました。

作成者: hiroaki

高校3年の時、模試で英語の成績が全国平均を下回っていた。そのせいか、英語の先生に「寺岡君、英語頑張っている感じなのに(笑)」と言われたこともある。 しかし、なんやかんや多読を6000万語くらい積んだら、ほとんどどんな英語文献にも対処できるようになった。(努力ってすごい) ゆえに、英語文献が読めないという人は全員努力不足ということなので、そういう人たちには、とことん冷たい。(努力を怠ると、それが正直に結果に出る) 今は、Fate Grand Order にはまってしまっていて、FGO 関連の記事が多い。