多読スランプに陥った時に僕がやっていること【多読5000万語の男】

1,95%の時期はスランプ

多読を続けているとどうしてもスランプみたいな時期に陥ります。

やっても伸びないし、実力が落ちているような感覚すら出てくる時期でです。

これまで多読を何年も続けてきましたが、ぶっちゃけ95%くらいの期間はこの「スランプ」でした。やっても成果の出ない時期でしす。

僕の感覚からすると、起きている時間ずっと多読をするというのは当たり前です。

それだけやっても伸びない時期がほとんどでした。勉強時間を増やしてみたり、質を上げようともしましたが、結局のところ「ほとんどの期間は伸びない時期」という事実は変わりませんでした。

ただし、僕の場合は多読をずっとやり続けたので、結局は必ず伸びました。3か月に1回くらいの頻度で、伸びる時期というのがきます。それまでにきちんと努力できていたら、この「伸びる時期」にかなり実力が伸びます。けれども、割と手を抜いていると、あまり伸びませんでした

勉強というものは、結局伸びない時期が長いのだと思います。もちろん科目にもよるとは思います。しかし、こと多読に関しては、この「伸びない時期が長い」という傾向は強いです。

つまり、この「伸びない時期」とどうかかわっていくかが重要なのです。ついついYouTube等で時間をつぶしたくなる気持ちは分かります。しかし、あまりさぼりすぎると、その後の伸び幅がしょぼくなっていきます。

かと言って、心や体を壊すレベルまで勉強するのも何か違う気がします。

結論から言うと、僕自身こうした「伸びない時期」とのうまいかかわり方を見つけられていません。しかし、そこそこ経験値がある分、初心者よりはましな方法を取れていると思います。

2,僕が多読スランプに陥った時に実践していること

繰り返しになりますが、95%くらいの期間はこの「スランプ」です。伸びる時期(=調子のいい時期)は3か月に一度くらいしか来ません。

このようにやたら長い「伸びない時期」に僕が意識してやっていることがこれらです。

①自分にとって簡単な洋書を読むようにする。

要するに練習の強度を下げます。

それまで余裕でこなせたこと、もしくは、楽にこなせるであろうことをします。

多読に関しては、読む洋書のレベルを下げていました。

昔はレベル付きの洋書ばかり読んでいたので、レベル6⇒レベル6⇒レベル2みたいにレベルを下げました。

そうすると楽に英語が読めます。

とにかく練習そのものは続けたかったので、負荷を下げてでもやり続けようとしたのですね。

普通の洋書が読めるようになってからもこうしたスランプは続きました。その時は、村上春樹の小説の英語版を読んでいました。

1Q84

1Q84等は平易な英語で書かれており、読みやすかったです。日本に関することが書かれているので、すんなり頭に入ってきました。

よく考えてみると当たり前なのですが、英米の小説は英米の事柄が扱われていることがほとんどです。なので、英米の風習の予備知識のようなものがないと厳しいことがあります。

英米の家の作りはどうなっているかとか、英国の階級制度がどうなっているかとか、アメリカの選挙制度がどうなっているか等を知らないと内容がすっと頭に入ってこないことが多いですね。

知らない国の知らない風習を外国語で読むのは結構きついものです。

未履修科目の未履修単元を英語の教科書でやっている感じです。スランプ時にするようなことではありませんね。

それに対し村上春樹の小説の英訳は読みやすいです。日本の事象を扱っているので、なんとなく何が話題になっているのか察しがつきます。

おまけに1000ページ以上(45万語)という大ボリュームなので読みごたえがあります。2週間近くつぶせます。これが2000円って安くないですか? (1Q84英語版の購入はここから可能

Killing Commendatoreも面白かったですね。読む価値はあると思います。

Killing Commendatore

自分の専門分野(言語学)ができてからは、その分野の本ばかりを読んできました。

よって、普通の小説を読む力は落ちているかもしれません。

言語学の本の中にも明確に難易度の差が存在します。

教科書系は簡単で、研究書や論文は難しい傾向にあります。

そこで、勉強がしんどくなってきたら教科書系を読むようにしています。

Oxford textbooks in linguistics やCambridge textbooks in linguisticsなどの良質なシリーズがあります。僕が今読んでいるのは、Roberts, I. (2007) Diachronic Syntax, Cambridge; Cambridge University Press. という教科書です。

大学学部生レベルの読者が対象なので、人間の学問といった感じですね。

(マジもんの研究書は人間の学問とは思えないくらい難しい。)

Diachronic Syntax

この本は読みやすいし、非常に興味深いです。言語変化はparameter resetting/ parameter shiftという現象で説明可能だという内容です。

歴史的に英語がどう変化してきたのか紹介し、それを生成文法的に考察していきます。数百年ごとにparameterの値が変わることで言語変化が起きるという仮説を提唱し、言語変化を説明しています。

人間の脳には言語を習得するメカニズムがあるとする仮説(Chomskyの仮説)から出発し、言語間に違いが存在するにのはparameter(変数)設定の差だと説明しています。

SVO型なのか、SOV型なのか等の変数を設定していくのですね。こういったものの差が言語間の違いになります。

こうした変数設定(parameter setting)ができるのは子供のころだけで、少ないインプットで変数設定を行うために、親や祖父母の言語の変数と少しずれます。基本的にはほんのわずかな差ですが、それが積み重なると数百年で大きな差になります。

こういったことを、英語の歴史的変化を考察して説明しています。場合によってはフランス語やイタリア語等の英語以外の言語の例も出てきます。これは慣れれば対処可能です。

勉強が行き詰ってきたとき、僕はこうした教科書類を読むことにしています。研究書はそもそも理論が未完成だったり、学者仲間が読んで分かるレベルの説明しかされていないことが多く、スランプ時に読むものではありません。

研究書でも、英語を母語としない人が書いたものは割と楽に読めることが分かってきました。彼らの英語は高校の教科書レベルです。英語母語話者が使う難しい言い回しは少なく、一文が短めで、さらに文構造も単純です。

最近は、イタリア人の言語学者が書いた、Cinque, G. (2020) The syntax of Relative Clauses – A Unified Analysis, Cambridge; Cambridge University Press.

や、ドイツ人の言語学者が書いた、Abraham, W. (2020) Modality in Syntax, Semantics and Pragmatics, Cambridge, Cambridge University Press.

等を読んでいます。どちらも研究書で、理論そのものは初級レベルではありませんが、僕のレベルならそれほど苦労せずに読めます。彼らの英語が非常にシンプルで分かりやすいというところが一番の押しポイントですね。

Abraham, W. (2020) Modality in Syntax, Semantics and Pragmatics, Cambridge, Cambridge University Press.

この本は英語そのものは平易です。

Cinque, G. (2020) The syntax of Relative Clauses – A Unified Analysis, Cambridge; Cambridge University Press

この本も英語そのものは平易ですが、Mention(他の研究への言及)が多めで、研究書初心者にとっては読みやすくはないでしょう。

②3年後の自分を想像する

これはある程度学習歴がないと不可能です。もしくは、他の科目を3年くらい頑張って爆伸びした経験がある人や、ズポーツで伸びない時期を3年くらい経験して、それでも努力を続けて急激に実力を上げた経験のある人でないと、なかなか自分の能力値の将来像を描けません。

勉強でもスポーツでも、伸びない時期は長いものです。それでも勉強し続けると、3か月や3年といった「3の倍数」の時期に急激に実力が伸びることが結構あります。

スポーツについて僕は語る資格がほとんどないので、勉強についてだけ触れましょう。

3か月や3年頑張ったら伸びる時期が来るというのは、受験を通してなんとなく察していました。

大学入学後、脳科学者が書いた本を読み、これにはきちんとした根拠があることを知りました。

勉強して一つの知識を入手すると、脳の神経細胞同士につながりができます。シナプスというやつです。

これを何度も繰り返すと何重にも神経細胞同士がつながったネットワークが脳内に構築されます。ここまでくると、知識から技能(スキル)に変わるのです。

ただ、こうした神経細胞同士のネットワークは一朝一夕には構築されません。最低でも3か月くらいかかります。それを繰り返すと3年になります。さらには10年くらいかけないと、強固なネットワークになりにくいと聞きます。これが10年1万時間の領域です。外国語等の専門技能で使い物になる域がこれです。

よって、勉強しても実力は後からしかつかないのです。それなのに、少しやって力が伸びないと「向いてない」となって、ついついYou Tubeやゲームに時間を浪費してしまうのは、人の性なのでしょう。

勉強スランプとは、まさに脳がその構造を変化させ、神経細胞同士のネットワークを構築している最中の現象です。そこで刺激(勉強・訓練)をやめてしまうと、出来上がった勉強ネットワークも貧弱になることは間違いない気がするのですが、どうでしょうか。

ちなみに、こうした神経細胞のネットワークは睡眠中に構築されるらしいので、睡眠時間を削って勉強するというのは、賛成しかねます。

成果がすぐに出ないと時間を浪費したくなるのは当たり前です。しかし、成果が出ない間も黙々とやらねば脳細胞動詞のネットワークは構築されにくいです。

僕は受験勉強を経験したことで、3年頑張ったら実力になることは身をもって体感しました。なので、すぐに成果が出ないくとも、勉強がらみなら「まあこんなものだろう」と感じられます。

なので、ついついYou Tubeやアダルトサイトなどで時間を浪費したくなったら、3年後の自分を想像することにしています。

このまま誘惑に流されていいのか。このまま練習をほったらかすと3年後後悔するのではないか。3年後、自分が身につけていたはずの実力がなくなってしまうのではないかと思うようにしています。

実はこうした思考法はメンタル的にめちゃくちゃ悪いです。あまりやり過ぎると病みます。これは本当です。なのでほどほどにして下さい。

本来ならば自分は○○できてたはずなのに、とか、3年後これくらいはできるようになっていたはずなのに、とか考え出すとマジで病みます。

メンタルを病みにくい人というのが世の中にはいます。そういう人は「今が楽しければ全然OK」と考えていることが多いですね。僕の姉がまさにその例です。

僕の姉はメンタルが強いです。同じ両親から生まれ、同じ習い事をして、僕は京大、姉はF欄に進学しました。

僕は「このままやって行くと自分はどうなっちゃうんだろう」と割と考えてしまうタイプで、将来への不安から勉強を頑張りました。自分は社会で活躍できない側の人間だと早くから察していたので、せめて学歴だけは持っておこうという発想で高校時代に勉強を頑張ったわけです。

一方姉はゲーセン通いを続け、F欄に進学しました。当時を振り返って、将来に対し一抹の不安もなかったと言っています。

メンタル的には、「今が楽しければそれでOK」というのが好ましいですね。「このままだとどうなっちゃうんだろう」と考えるタイプは病みやすいです。

結局、人ひとりが頑張ったところでできることなんて知れているのですよ。自分の技能に関しては割とコントロールできますが、それ以外はどうにもなりません。

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カテゴリー: Hiroaki

作成者: hiroaki

高校3年の時、模試で英語の成績が全国平均を下回っていた。そのせいか、英語の先生に「寺岡君、英語頑張っている感じなのに(笑)」と言われたこともある。 しかし、なんやかんや多読を6000万語くらい積んだら、ほとんどどんな英語文献にも対処できるようになった。(努力ってすごい) ゆえに、英語文献が読めないという人は全員努力不足ということなので、そういう人たちには、とことん冷たい。(努力を怠ると、それが正直に結果に出る) 今は、Fate Grand Order にはまってしまっていて、FGO 関連の記事が多い。

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