英語ができるまで(インドヨーロッパ祖語とその子孫)【英語史解説】

1,インドヨーロッパ祖語

紀元前5000~3000年くらいの時期、黒海北岸の地域で話されていたインドヨーロッパ祖語という言語がありました。

文字記録がない以上、これを使っていた人々について詳細なことは分かっていません。しかし、彼らが多神教を信仰し、家父長制で羊や馬を飼育していたことは分かっています。

車輪の発明以降、断続的に民族移動が始まりました。

ある集団は移動の結果インドに行きつき、そのまま北部を征服しました。長い期間をかけて移動してきたので、彼らの言語は元々のインドヨーロッパ祖語からかなり方言差ができ、もはや別の言語になっていました。

彼らの言語は、サンスクリット語と呼ばれ、経典ヴェーダの記録に使われました。

さらに、この言語の口語版の子孫が現代インドで最大の話者を誇るヒンディー語です。

また、エーゲ海方面(現在のギリシア)に行った集団もありました。彼らは先住民を征服し、ギリシアに都市国家を築きました。彼らの言語が古典ギリシア語です。

また、イタリア半島にたどり着いた一団もありました。温暖な気候で生活しやすかったのか、彼らの一団が今後最強になっていきます。元々、ラティウム地方と呼ばれるところに住んでいた彼らは、後にローマに遷都し、ローマ帝国を築きます。彼らの言語はラテン語と呼ばれています。

このローマ帝国はとにかく強く、周辺を侵略しまくりました。現在のスペイン、ポルトガル、フランスなどはそういうローマ帝国の領地でした。

ローマ帝国崩壊後、これらの地域の言語は、ラテン語から方言差が次第に大きくなる形で独自の発展を遂げ、現在では、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語になっています。

インドヨーロッパ祖語からできたマイナーな言語としては、ペルシア語が挙げられます。民族移動の結果、現在のイラン高原にたどり着いた一団の言語がこれです。

長い年月をかけて移動してきたので、やはり元々のインドヨーロッパ祖語と彼らの言語には、大きな差ができてしまっていました。

彼らの言語は、ペルシア語(もしくは古イラン語)と呼ばれ、現代イラン語の元になっています。

ただし、現代イラン語は、地理上アラビア語(これはインドヨーロッパ語とは関係ない)に大きな影響を受けています。特にアラビア語由来の語彙が現代イラン語の語彙の半数以上を占めているらしいです。

また、インドヨーロッパ祖語を話す民族の内、民族移動の結果現在のウクライナにたどり着いた(というよりは、そもそもあまり移動をしていない?)集団もありました。

彼らの言語はスラブ語と呼ばれ、現在のロシア語、ウクライナ語、クロアチア語の元になっています。

因みに、スラブ語からできた諸言語をスラブ語派や、スラブ語族と呼びます。

彼らの言語はかなり「保守的」であることが知られています。

インドヨーロッパ祖語は、格変化(現代英語のI, my,me等の区別に当たる)を豊富に持っており、名詞は8つの格変化を持っていたと考えられています。インドヨーロッパ祖語の格とその機能を整理すると、大体以下の表のようになります。

格の名称主な機能大体の意味
主格主語~は、~が
属格所有格とほぼ同じ~の
与格間接目的語~に
対格直接目的語~を
奪格from~とほぼ同じ~から
具格手段、方法、(with~とほぼ同じ)~で
位格位置を示す (at~, in~とほぼ同)~で
呼格呼びかけ~よ
唐澤(2011)一部改変

現代英語は、主格、属格(所有格)、目的格の3つしか区別しません。さらに、普通名詞では主格と目的格の区別もなくなってしまいました。よって、主格と所有格の2格しか区別しません。

他の格が表す意味は、全て語順か前置詞を使って表現するようになりました。

インドヨーロッパ祖語から生まれた言語をインドヨーロッパ語族と呼びます。

これまで紹介した言語(アラビア語を除く)は全てこれに含まれます。

その中で、古い言語ほどインドヨーロッパ祖語に近い特徴を持っているということが分かっています。

そりゃそうですね。

長い年月をかけ、祖語や他の語派との接触が絶たれ、方言差を発達させる形で一つ一つの言語ができてきました。

なので、インドヨーロッパ祖語から分離してまだあまり時間がたっていないころの言語は、かなり祖語に近かったと考えられています。

その証拠に、古代インドで使われ、ヴェーダ等経典の記録に使われたサンスクリット語では、8つの格を区別していたことが記録から分かったいます。サンスクリット語が使われていたのは、およそ紀元前1500年くらいだと言われています。

また、古典ギリシア語も相当古く(紀元前1000年くらいの記録がある)、5つの格を区別していたことが分かっています。

だんんだん減ってきていますね。

古典ラテン語の記録は、紀元前6世紀ぐらいから存在します。記録には残っていませんが、ラテン語自体が紀元前1000年頃から存在したと考えられています。

このラテン語は、6つの格を区別していました。

そして、ラテン語からできた現代フランス語、ポルトガル語、イタリア語などは、明確な格の区別がないとされています。

この、インドヨーロッパ祖語から分かれてから時がたつほど格の変化を失っていく感じが分かりますか。

ところが、ロシア語等が属するスラブ語族は今もなお格の変化を豊富に持っています。

リトアニア語、チェコ語、ウクライナ語、ポーランド語は今でも7つの格を区別しています。そしてこれらすべてがスラブ語族の言語です。

また、スラブ語族の代表格であるロシア語は今なお6つの格を区別しています。

サンスクリット語はインドヨーロッパ語族の中でもかなり古い言語です。これを発音記号にして転記し、スラブ語族の言語の母語話者(確かリトアニア語だったはず)に見せると、その人は、なんと大意がつかめるそうです。

細かい部分は分からないが、そのテキストが何を言っているのか、大まかに分かるのです。

つまり、スラブ語族の言語は、経過した時間のわりにインドヨーロッパ祖語の特徴をかなり維持しているのです。すごい。

これは、どちらの言語が優れているとかそういう話ではなく、単純に特徴の話です。

でも、なぜこうなったのでしょうか。

本当は、専門家に聞かなければ分からないのでしょうが、僕なりの当てずっぽうで答えてみましょう。

たぶん、スラブ語族って、インドヨーロッパ祖語の直属の子孫なんじゃないでしょうか?

インドヨーロッパ祖語を話していた人たちは、元々黒海北岸~カスピ海沿岸にすんでいたと考えられていることは先ほども述べました。

これは、現在スラブ語族の言語が話されている地域とかなりかぶります。(ウクライナ語等)

インドヨーロッパ祖語を話す民族は、車輪の発明以来、定期的に民族流出のような形で、人々が移動して原住地から出て行ってしまう。

移動の原因は、気候変動などいろいろ言われているがこの際関係ないでしょう。

とにかく、どんどん人が出て行って、出ていった先で新たな語派を形成してしまいました。

では、残された祖語はどうなったのでしょうか。

多分、その残された祖語がスラブ語族になったのではないでしょうか。

だって、スラブ語族が使わてている地域は、インドヨーロッパ祖語の使われていた地域とほぼ一対一対応しています。

僕はこの分野の専門家ではないので、発言に責任は持てませんが、結構いい線言っているのではないでしょうか。

2,ゲルマン語派

インドヨーロッパ祖語から分岐して様々な言語ができたのは、上で見た通りです。

便宜上、これらの言語は、○○語派と分けて呼ばれています。

インド・イラン語派がサンスクリット語やイラン語です。

イタリック語派がラテン語やその子孫たちです。

そして、英語の歴史の中で一番重要なのがゲルマン語派です。

ゲルマン語派は、英語ではGermanicで、German(ドイツ語)が代表格です。

民族移動の結果、現在のドイツやオランダ、デンマークあたりにまで行きついた彼らは、やはりインドヨーロッパ祖語から方言差を発達させた独自の特徴を持つ言語を使っていたと考えられています。

それがゲルマン祖語です。

ゲルマン祖語の特徴は色々ありますが、やはり音声面での特徴が一番顕著です。

インドヨーロッパ祖語からゲルマン祖語ができる過程で、特定の子音の音が規則的に変化したと考えられています。以下の表を参照してください。

印欧祖語ゲルマン祖語
1p, t, k, kwf, θ, h, hw
2b, d, g, gwp, t, k, kw
3bh, dh, gh, gwhb, d, g, gw/b
唐澤(2011)から、一部改変

学術的には厳密ではありませんが、概ね対応する発音を表記するよう心掛けました。

この発音の変化は大きく分けて3段階に分かれていたと考えられています。

まず、印欧祖語にあった/p/, /t/, /k/,の音が、ゲルマン祖語では/f/, /θ/, /h/, /hw/に変化してしまいました。

その結果、ゲルマン祖語に変化する途上の言語から、/p/, /t/, /k/,の音が消えてしまいました。

にわかには信じがたいかもしれませんが、おそらく本当にそうなったのだと考えられています。

そこで、消えてしまった/p/, /t/, /k/の音を補充すべく、今度は印欧祖語の/b/, /d/, /g/, /gw/の音を変化させ、ゲルマン祖語では/p/, /t/, /k/, /kw/の音を作りました。

すると、印欧祖語からゲルマン祖語に変化する途上の言語から、/b/, /d/, /g/, /gw/の音がなくなってしまいました。

そこで、なくなってしまった/b/, /d/, /g/, /gw/の音を補充すべく、今度は印欧祖語のbh, dh, gh, gwhの音を変化させ、ゲルマン祖語のb, d, g, gw/bを作りました。

このように、印欧祖語(インドヨーロッパ祖語)からゲルマン祖語が生まれる過程で、消えてしまった音を補充すべく連鎖的に起こった子音の変化であるが、発見者の名を冠してグリムの法則と呼ばれている。

言語学者グリム兄弟は、ドイツ各地の方言差を調査する中で、このような規則的な子音の変化に気づいたとされている。

また、こうしたドイツ各地の方言差を調査する傍ら、各地の民話を蒐集し、発表した。これがかの有名な『グリム童話』である。

実は、こうした子音の音の規則的な変化に気づいたのはグリムが最初ではなく、他の学者のアイデアを採って勝手に発表したらしいのだが、今ここでは関係ない。

さて、こうした子音の規則的な発音変化の実例を見てみようではないか。

印欧祖語からゲルマン祖語が分岐する過程で起こった発音の変化なので、印欧祖語とゲルマン祖語の単語同士の発音を比較するのが道理にかなっているだろう。

しかし、印欧祖語もゲルマン祖語もどちらも文字記録が存在しない。

さて、どうしたものか。

印欧祖語から様々な言語が生まれた訳だが、ラテン語は印欧祖語の子音を比較的良く保っていると言われている。そこで、印欧祖語の代わりにラテン語を用いても良い場合が多い。

また、ゲルマン祖語からは現代ドイツ語、英語、オランダ語、さらには北欧の言語が生まれたので、これらの言語を比較対象として用いても構わない場合が多い。

ラテン語音変化古英語現代英語
paterp⇒ffæderfather
teniust⇒θþynnethin
captk⇒hheafodhead
quodkw⇒hwhwætwhat
dentd⇒ttoþtooth
唐澤(2011)から一部改変。

þは古英語時代に使われていたアルファベットで、現代英語のthの音に対応すると考えられている。

上の表のように、印欧祖語の特定の子音を規則的に推移させてゲルマン祖語の子音を作ったわけである。

3,二重語(doublet)

ここで面白いのが、二重語(doublet)や三重語(triplet)の存在である。

元々のルーツは同じなのに、英語に入ってきた経路が異なるために複数の単語になってしまったケースをこう呼ぶ。

語源辞典で調べていると、全く異なる単語が同じ語源になっているので気づく場合が多い。また、こうした二重語を紹介している書籍もある。

英語に元々あった単語を本来語と呼ぶ。それに対し、元々英語になかったが、後で外国語から取り入れた単語を借用語や外来語と呼んで区別している。

借用(loan)とはよく言ったもので、確かに外国語から単語を借り入れているように見える。

本来語は、インドヨーロッパ祖語の時代から現代英語まで脈々と受け継がれて来た単語である。印欧祖語⇒ゲルマン祖語⇒古低地ゲルマン語⇒古英語⇒中英語⇒近代英語⇒現代英語、という流れで英語に存在する単語が本来語である。

一方、借用語(loan words)は、歴史の中のどこかのタイミングで英語に入ってきた外来語である。

このような借用語と本来語が同じ語源であるケースを紹介していこう。

上の表を見ただけで分かるかもしれないが、dental「歯の」とtooth「歯」は二重語である。

dental care「歯のケア」などで使われる単語dentalは、なんとtootheと同語源だったのだ。

toothは、英語本来語である。ゆえに、印欧祖語⇒ゲルマン祖語⇒古低地ゲルマン語⇒古英語⇒中英語⇒近代英語⇒現代英語、という流れでずっと英語に存在した単語である。印欧祖語がゲルマン祖語に変化する過程で、グリムの法則にしたがい、d⇒tに子音が変化している。

一方、dentalはラテン語由来の単語である。これが1500年代に英語に借用されたわけである。ゆえに、この単語がたどってきた道は、印欧祖語⇒ラテン語、そして近代英語(1500年以降の英語)に借用されるということになる。

元々は同じ単語だったものの、たどってきた道が違うために、二つの異なる単語になってしまう。こういった物を二重語と呼ぶ。

その他の二重語について。

印欧祖語(インドヨーロッパ祖語)の文字記録は残っていないので、印欧祖語から分かれてできた言語同士を比較して祖語を復元していくことになる。

そうして復元された印欧祖語の単語の一つが*kapt「頭」である。*(アスタリスク)は、その単語が実際の記録にあったものではなく、復元(専門用語で再建)されたものであることを示す。

このkaptがたどった道が面白い。

印欧祖語がゲルマン祖語に変化する際、グリムの法則によりk⇒hに子音の発音が変化した。その結果ゲルマン祖語では、*kaptが*habuðanになった。補足だが、ðはtheseのthの部分と同じ発音である。

ゲルマン祖語から古英語ができるわけだが、古英語ではheafodになった。そこから現代英語head「頭」ができたわけである。これが印欧祖語*kaptがたどった、英語本来語の道である。

印欧祖語*kapt「頭」がたどったもう一つの道は、ラテン語経由で英語に入ってきたパターンである。

印欧祖語*kaptは、ラテン語capt「頭」になった。この単語の派生語にラテン語capitanus「長」というものがある。これが英語に借用され、captain「キャプテン、長」になった。

フランス語はラテン語の子孫なので、当然ラテン語capt「頭」はフランス語に入ってくることになる。それが古フランス語capitelである。これが英語に借用されて、capital「首都、主要な」になった。

古フランス語はその後、北部のノルマン・フレンチ(ノルマン訛りのフランス語)と、首都近郊のセントラル・フレンチ(首都方言)に分かれてしまう。

ノルマン・フレンチでこの単語はcatelとなり、英語にcattle「主要な資産⇒畜牛」として借用されている。

セントラル・フレンチではk⇒tʃに発音が変化したため、古フランス語capitelはセントラル・フレンチでは chefになった。chの部分の発音は/tʃ/である。shouldのshと同じ発音である。

これが英語に借用され、chief「頭、長官、チーフ」やchef「料理長、シェフ」になった。

なので、英語本来語headに対し、captain, cattle, capital, chief, chefは6重語の関係である。二重語を通り越してしまっている。

このように、英語の歴史を少しかじった後、英単語の語源を調べてみると、面白い発見があるかもしれない。

4,低地ゲルマン語

印欧祖語から枝分かれしてゲルマン祖語に発展したわけだが、これがさらに枝分かれして東ゲルマン語、西ゲルマン語、北ゲルマン語になる。

東ゲルマン語はあまり重要ではないので割愛。

北ゲルマン語は、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク語等になった。

英語について語るとき、西ゲルマン語が主人公になる。西ゲルマン語は、古高地ドイツ語と古低地ドイツ語に分かれる。

高地や低地といった語を聞いてもいまいちパッと来ないと思うが、以下の地図を見て欲しい。

google mapより

古高地ドイツ語がのちのドイツ語である。

古低地ドイツ語は、オランダ語や古英語になる。

ここで地図をよく見てみると、ドイツ南部はスイスやオーストリアと国境を接していることが分かる。この辺りには何があるか。そう、アルプス山脈である。

アルプス山脈から北上していくと、オランダにたどり着く。この辺りは海抜がかなり低いことで有名だ。海抜がマイナスのところすらある。

このような理由で、高地、低地と呼んでいるのである。

グリムの法則をより厳密には、第1次子音推移と呼ぶ。それなら第2次もあったのかと思われがちだが、あったのだ。

今回の変化は文字記録が残っているので、割と詳しいことが分かっている。

アルプス山脈付近で始まったこの変化は、徐々に北に伝播したものの、ついには低地ドイツ語に変化が届かないまま終わってしまった。

そして、この変化していない方(低地ドイツ語)の言語を話す民族に、アングロ人、サクソン人、ジュート人というのがいた。

彼らは既に方言差を持った状態でブリテン島(イギリス)に侵攻し、先住民を辺境の地に追いやってしまう。

こうして誕生した言語が英語だ。

作成者: hiroaki

高校3年の時、模試で英語の成績が全国平均を下回っていた。そのせいか、英語の先生に「寺岡君、英語頑張っている感じなのに(笑)」と言われたこともある。 しかし、なんやかんや多読を6000万語くらい積んだら、ほとんどどんな英語文献にも対処できるようになった。(努力ってすごい) ゆえに、英語文献が読めないという人は全員努力不足ということなので、そういう人たちには、とことん冷たい。(努力を怠ると、それが正直に結果に出る) 今は、Fate Grand Order にはまってしまっていて、FGO 関連の記事が多い。