初めに~
ゆる言語学外注さんが、出版社の力を使って専門家を召喚していることについて、僕はたびたびブログでも YouTube でも指摘してきました。
2023年初頭にも、その旨を動画にして指摘しました。
そのころ、動画のコメント欄に寄せられたコメントは、いろいろありますが、8割くらいは、以下のような内部構造を持っていました。
(①で始まり、②が続くケースがほとんど)
①言語学外注して何が悪いねん!(怒り)
②彼らが言語学の競技人口を増やしているんじゃないのか!(怒り)
まず、たいていのコメントは、「言語学を外注して何が悪いねん!」とか、「出版社の力使って何が悪いねん!」という要素から始まります。
その次に、「彼らが言語学の競技人口を増やしてるんじゃないのか!」とか、「彼らのおかげで言語学をやる人の数が現に増えている」といったコメントが続きます。
ゆえに、多くの場合、同一のコメントに、上の①と②の要素が現れます。
これが8割くらいでした。
(残り2割は、①だけがあって、あとは僕への悪口がつづられていたりしました・・・)
そんな状況の中で、僕が出した動画があるのですが、現在はそれも削除済みなので、代用として、以下の動画をご覧ください。
言いたいことは、言語学(の中の特に統語論)は、英語文献ばっかりの世界で、教科書レベルからすでに英語文献しかないケースが多いこと。
そして、英語文献が読めないゆる言語学外注さんは、出版社の力を使って、専門家を召喚している。
さらに、(この点は動画で触れていないかもしれませんが、)「言語学は和書でもできる」という誤った幻想を視聴者に植え付け、概要欄や彼らの web ページから和書を売って、その紹介手数料からがっぽり設けるのが、ゆる言語学外注さんの商売のやり方である点。
だからこそ、『ゆる言語学外注さんは、出版社の力を使って専門家を外注している』という僕の動画に対してついた「出版社の力使って専門家召喚して何が悪いねん。彼らの動画で紹介された本(多分和書?)は、売り切れになるほどよく売れている。こういう本を買った人は、言語学の入口に立ったんじゃないのか?(怒り)」というコメントに、僕が、
「和書、買ったんすよね?
和書買って、言語学の勉強を始めたんですよね?
今、調子はどうですか?
言語学の勉強は、はかどっていますか?
もどかしいだろ。
そういう和書を読んでも、参考文献リストに載っている本は洋書ばっかり。
これじゃまるで、言語学入口に立ったものの、そこから先に一歩も進めない感じじゃない?
もどかしいだろ。」
という返しを(動画で)したわけです。
実は被害者?
「ゆる言語学が紹介した本は、在庫切れになるほどよく売れている。こういう本を買った人は、言語学の入口に立っているんじゃないのか?(怒り)」に似たコメントは、いくつもいくつも見てきました。
この手のコメントは、大体の場合、「彼ら(ゆる言語学外注さん)が言語学の競技人口を増やしているんじゃないのか!(怒り)」の部分が共通項として現れるので、特に目新しさはありません。
何せ、かつては、僕が作る動画に寄せられた(ゆる言語学外注さんの信者からの)コメントの、実に8割くらいが、表現こそ違うものの、こうした内容を表していたからです。
ただ、このセクションの冒頭で紹介したコメントは、2つの点で画期的で、僕の動画に採用されるに至りました。
画期的ポイントその1:具体的な売り上げ(=在庫切れになるくらいという表現)が示されている。
この点だけでも、このコメントは優秀です。単に「よく売れている」というより、「在庫切れになるくらい」という、明確かつ具体的、それでいて、インパクトに富む表現を使ってくれています。
僕としては、こういうコメントを引用したほうがインパクトが出るので、助かります。ありがとうございました!
画期的ポイントその2:「これだけ大きな社会的影響力を持っている俺らはすごいんだ」という含意(がんい)が読み取れた。
これは、SNS 内で非常に大きな問題だと思います。
チャンネル登録者が多いチャンネルに登録しているというだけで、自分が大きく見える人とか、そうしたチャンネルに登録しているだけで、自分がえらく見えたりする人が、割といるようです。
そうした、「勘違い系」の登録者(視聴者)は、自分が大きいチャンネルに登録していると、自分がなんだかえらくなったり、何か偉大なことを成し遂げたように錯覚してしまうので、他の小さいチャンネルを運営している YouTuber やインスタグラマー等に対して高圧的な態度をとってきたり、挙句の果てには、(自分は何もしてないくせに)見下してきます。
件(くだん)のコメントからは、こうした「匂い」を中程度感じました(要するに、こうした態度をあからさまに出してくる痛いコメントは、他にありました。例えば、「こっちはチャンネル登録は16万人だ!」のようなもの。でも、よくよく考えれば、この人は何もしていないのですが・・・。)
ただ、「俺らは、社会的に大きな影響を持っているから、お前ごときの弱小チャンネルとは全然違うんだ。お前ごときが(動画で)何を紹介しようとも、売り切れになるくらいは売れない。その点で、お前は劣っているし、俺らはすごいんだ」という、(痛い)意識は、ある程度感じます。
よくよく考えてみると、このコメントを書いた人は、何もすごいことはやっていないのですが・・・。
ただ、こうした「俺らの(社会的影響力)スゲーだろ」系のコメントは、(本人たちが実は何もしていないことを抜きにしても、)よく考えれば、かなりかわいそうな、痛いコメントです。
先ほども述べた通り、ゆる言語学外注さんが、英語文献が読めないので、当然和書ばかり読むことになります。すると、英語文献ばかりの言語学をやろうと思っても、当然、にっちもさっちもいかなくなります。
普通の人ならそこで試合終了なのですが、ゆる言語学外注さんは、出版社の力を使って専門家を召喚して、何とかしてしまっています。
そして、和書を読んでも、どうにもならないことは、ゆる言語学外注さんたちがよくわかっているはずです。
だからこそ、いちいち専門家を外注しているわけです。
「和書ばっかり読んでいてもどうにもならなかったので、出版社の力を使って専門家を召喚しています」と彼ら本人が言うか、動画にそういう旨のテロップを入れるべきだと思うのですが、彼らはそういうことをしていません。
そして、あろうことか、和書を売りつけて、紹介手数料を稼いでいます。
これなら、出版社にも、ゆる言語学外注さんにも、双方に金銭的なメリットがあって、まさにwin-win の関係性と言えます。
しかし、そうした和書を勘違いして(させられて?)買った視聴者はどうなるのでしょうか。
なんだか、僕から見ると、ゆる言語学外注さんが紹介した和書を、売り切れになるくらいまで買っている視聴者さんたちが、被害者であるように映るのですが、僕だけの勘違いでしょうか。
多分、こうしたことを思ったのが僕だけではなかったからこそ、僕が初めて「和書買って、今、どうですか?もどかしいやろ。これでどうにもならへんから、ゆる言語学外注さんは、大修館書店とかの出版社の力を使って、専門家を外注してるねん。」と動画内で言ったたときに、
「よく言った」
といった、感謝の声と、
「くそがー」
という、まるでモブわき役が、やられるときに発するセリフみたいなコメントの2種類で、僕の動画のコメント欄が埋まったのでしょう。
ゆる言語学外注さんがやっていることは、まっとうな商売には、どうしても見えません。
だからと言って、彼らの視聴者がどうなってくれようが、僕としてはマジでどうでもいいのですが・・・。
「ゆる言語学が紹介した和書は売り切れになるくらい売れてるねん。(だから俺らの社会的な影響力はすごい」といったコメントは、僕からすれば、
「かわいそうだな」くらいにしか映りません。
まあ、僕はどうにもできないので、対岸の火事くらいに思っているのですが。
あと、こういうコメントを書いてくる人は、ほとんどの場合、和書を買ってないです。
最近の風潮を見て思うこと【正直かわいそう】
あれから一年ほどが経過しました。
消してしまった動画は惜しいですが、復刻版のような形で上記の動画を公開できたことは、私なりにうれしく感じています。
ただ、以前と同様の内容の動画を公開したにもかかわらず、反応が微妙で、そこだけは、悲しいものです。
まず、「くそがー」とか、「やめろー」系のコメントが少なくなりました。
ないことはないのですが、かつては、半数くらいがこうした、私に何も言い返せない系のコメントでした。
まさに「くそがー」とか「やめろー」と書くしかなかったのですね。
しかし、こうした内容を投稿してから1年がたち、ゆる言語学外注さんの視聴者の間で、大きな意識改革があったようです。
実は、その原因について、私には思い当たる節があります。
私が最初にこうした内容を投稿したのが2023年の1月です。
それからしばらくして、ゆる言語学外注さん自身が、自らのチャンネルを再定義する動画を出しました。
この動きを見て私は以下の3つの考えがあたまをよぎろました。
①私が行った糾弾(お前ら出版社の力使って専門家召喚してるやろ etc.) を、ゆる言語学外注さん自身はかなり脅威に思った。
しかし、私に直接文句を言うわけにいかず、「『ゆる言語学』っていうのは、実はこういうチャンネルだったんだ」という、再定義を行うことっで、私からの糾弾を逃れようとしている。
②この流れは、宗教とか、共産主義の独裁政権と同じ。
(『動物農場』という作品を読めば、私の言っていることがよくわかるはず。この作品では、「実は、俺らの政権は、こうやってん」みたいな再定義がしょっちゅう起こる。こうやって中国とか、北朝鮮の政治は動いているんやな、と考えさせられる。)
⓷正直、もうついていけない
このレベルになってくると、教義とかを正確に理解できてるかといった、「信仰心」を示さないと、信者を納得させることはできないので、批判が難しくなります。
少しでも彼らの教義を誤って解釈していたら、信者にものすごいたたかれます。
私はゆる言語学外注さんの信者ではありませんので、彼らの教義を正しく解釈できていません。
しかし、信者さんが残していったと思われるコメントから判断するに、「視聴者を言語学の勉強にいざなうものではない」という再定義がなされたようです。
だとすれば、かつて信者さんが「ゆる言語学が競技人口を増やしてるんじゃないのか!」と口をそろえて言っていたのは、どこかに消えてしまたようです。
ゆる言語学の再定義がなされると、信者さんたちは、あれだけ「競技人口を増やしてるんじゃないのか!」自分たちでと言っていたのは完全忘れてしまったようで、再定義された教義が彼らの中で、「神の言葉」になっているようです。
ただ、この「神の言葉」非常におかしくて、私からの批判を逃れることだけに特化してしまっていて、それ以外が、マジでぺらぺらの紙っ切れになっています。
今までの、ゆる言語学外注という存在のよりどころの一つであった、「言語学の競技人口を増やしている」は、言ってはいけない「タブー?」のように扱われてしまっていて、「俺ら、言語学がちでやってないし、そういうのを産む気もない」というのが、信者間での共通認識になっているように感じます。
ただ、そうだとすると、視聴者には、道場せざるを得ません。
だって、何十時間も、言語学の動画を見せられては、実際にやりたくなってしまう人が出ても、驚くに値しません。
僕だったら、(僕はああいう動画をまずみませんが)、高確率で、自分でもやってみたくなっていたでしょう。
そうすると、ゆる言語学外注さんの新たな教義に従うなら、「俺ら言語をがちでやってないし、ガチ勢を産む気もない」ので、「あとは自己責任で」ということになります。
そして、和書を読んでも当然どうにもならないので、実施にに言語学を始めてしまった人からは「なんか、思ってたのと全然違うし、なんか、必要なのは英語文献ばっかりじゃね?」と思われても、「そんなの知らねー」で済ませられます。
これじゃ、あまりにかわいそうではありませんか。
目の前で、言語学というおいしそうな料理を見せられていながら、実際にはやれないようになっているし、やりたいと思う人が出ても「新しい教義にそぐわないので、あとは自己責任でオナシャス」っているのは、かわいそうすぎます。
僕の解釈が間違っていたら済まんけど、最近の信者さんが残していったコメントからは、「言語学をガチでやる」というのが、すごく汚い言葉で、口にするだけでやばい(ヴォルデモート?)ことに成り下がってしまっているように感じられて仕方がないです。
これじゃあんまりなので、人助けのスペシャリストである僕から、何か一言書いて綺麗に締めたいと思ういます。
僕は、人助け専門家なので、信者さんを救ってやりたいものですが、
術(すべ)なしや。
(=救う方法がないということ)