1)英語資料が読めない
京都大学総合人間学部(文系)に入学した僕は、受験が終わった反動で、全く英語を勉強しなくなっていました。
元々英語が好きで勉強していたのではなく、受験のために勉強していたので、こうなるのも当然かもしれません。
この期間が約半年間続きました。
そんな僕も、自主的に英語の勉強を始める時がやってきます。
自分は、西洋史をやりたくて大学に入った人間でした。
歴史学をするには、歴史資料の読解が必要不可欠です。
歴史上の人物の書簡(手紙)、日誌、さらには条約文章や当時出版されていた書物等を読んでいかねばなりません。
総合人間学部で西洋史をする場合、教員の専門分野の関係上、イギリス史かポルトガル史の2択になります。
当時、総合人間学部には西洋史担当の教授が二人いて、彼らの専門がそれぞれ、イギリス史全般と大航海時代のポルトガルだったからこうなるのです。
そうすると、ポルトガル語ができない自分にとって、ポルトガル史は非常に厳しい。
そこで、「イギリス史だ。」という決断になりました。
そうすると、英語資料の読解が必要になります。ここにきてようやく、英語の勉強の必要性に迫られたわけです。大学1回生の夏休み最後の日ことでした。
1回生の後期には、その教授(イギリス史専門)の基礎演習(1回生向けの演習)に出て、着実に準備を重ねるつもりでした。
演習の内容は、歴史資料読解力を養うため、少し古めの英語で書かれた英語の小説を翻訳していくというものでした。
全くできませんでした。
3人くらいの出席者しかいない中、一人一段落ずつ、ディケンズの小説 ”Sketches by Boz”を訳していきます。
だからどんどん自分の番が回ってくる。そして、何が何だか分からないうちに終わります。
高校の時のように、参考書があって、先生が丁寧に解説してくれるということは全くありません。
学生が分からないままどんどん進んでいきます。
でも、1人だけ、法学部の英語が無茶苦茶できる人がいて、その人はちゃんと分かっているようでした。
そして思いました。「俺、英語読めないんだ。」
それから、自分でもいろいろ工夫しながら英語の勉強をしていきました。
けれども、自分には具体的に何が足りないのか分からないまま、色々な参考書に手を付けては、中途半端な所でやめていきました。
英語の勉強が空回りを始めました。
2)英語の小説が読めない
2回生に進んでからも、その教授の研究室で英語の資料を読む訓練をしていましたが、相変わらず読めません。
そこは変わらないのですが、周囲の顔ぶれは変わりました。
1回生の時は、基礎演習という正式な科目だったのですが、2回生からは、その教授の研究室で開かれる「読書会」という、言わば「研究室単位での自主トレ」に変わりました。
そこには、その教授の研究室に所属している学生が来るはずなのですが、学部生が自分一人だけしかいませんでした。
一方、大学院生は何人かいました。しかし、彼らの学力が非常に怪しかったのです。
whether A or B で、名詞節なら「AかBか」、副詞説なら「AであってもBであっても」のように訳す。こんなことすら知らない人もいいました。
その人は立命館大学出身だったらしいです。こんな高校レベルの知識もおぼつかないまま、どうやって大学入試を潜り抜けたのか、不思議でたまりませんでした。
(この時自分は、継続校、付属校、推薦というものを知らなかったので無理からぬことです。)
先輩がこんな連中の中、自分はやってはいけないと思い、本格的に専攻を変えることを視野に入れ始めました。
英語ができないというコンプレックスは相変わらず抱えていたので、そこを何とかしようと思い、英文学に進むことにしました。
英文学の演習は、案の定英語の小説を読むというもので、”Dracula”を原書で読みました。
出席者が3人くらいなのは、イギリス史の時と大差ありませんが、英文学になってからはやはり読む分量が桁違いです。
毎週2チャプターずつ進み、一人1チャプターずつ発表していきます。これを出席者3~4人で回すので、2週に1回は発表があることになります。
これはさすがにきつかったです。学部2回生で、他の授業もかなりの数がある中で、硬めの英語を一週間に3~40ページひたすら読み進めて、さらに発表までするのは相当きついことです。
ここで、体を壊すくらい頑張りました。
学部2回生の英語の実力なんて、よほど鍛えてない限り、高校生と大差ありません。
そして自分は、高校時代、英語ができたとは言い難い人間です。何せ英語の偏差値は45で、センター英語の長文を時間内に読み終えることすらできなかったのですから。
本当にきつい時や、自分の能力値を遥かに超すことが要求される局面では、適当に流したり、逃げたりしてもよかったはずです。
しかし、自分にはそれができませんでした。
この時まで、勉強に関しては、どれだけ追い込まれても、何とか満足いく結果を出せていたつもりです。
受験でも、英語が足を引っ張っていた時期があった中、2次試験までには何とかしたつもりです。
そういう一種の「成功体験」のせいで、努力すれば自分なら何とかなるはずだと思ってしまっていたのでしょう。
猛烈に頑張りました。
一行の中に3つも4つも分からない単語が出てくるような本を、週に30-40ページひたすら読んで、ひたすら発表のための準備をしました。
そして潰れました。完膚なきまでにやられました。
西洋史を勉強している時に、英語がまともに読めていないことが、すごくコンプレックスでした。
だから、英文学では、「ここで逃げたらだめだ。ここで逃げたら俺は一生英語から逃げ続けてしまう」と、自分を追い込みました。
結果、惨敗。
一行の中に3つも4つも分からない単語が出てくるような本を、根性では何とかできません。
しみじみそれを感じました。
鬱でした。
何もできない。勉強しかなかった自分が、勉強で何もできない。
3)煽られて英検1級受験を決意
大学3回生に進んで、やはり自分なりに英語の勉強を続けてはいました。
しかし、自分に何が一番足りていなかったのか分からないまま、相変わらず、色々な参考書をつまみ食いしてはやめていくの繰り返しでした。
そして、ここまで英語を勉強してしまったからこそ、英語の資格試験を受けるのが怖くなっていました。
薄々、ひどい結果になると分かっていたのかもしれません。
だからこそ、本当にひどい結果になった時、今度こそ自分にとどめがさされるのではと考えていたのです。
これだけがむしゃらに頑張って全然だめなら、自分は英語に向いてないのだと、客観的な判断材料がそろってしまう・・
そう考えると、英語の資格試験を怖くて受けられなくなっていました。
しかし、転機が訪れます。
英文学の教授に煽られて、英検1級の受験を決意します。大学3回の前期の最終日でしたね。つまり7月末です。
これは今思うと本当にしょうもないことでした。人を煽ってばかりで自分は何もしない人って多いですよね。英文学の教授が単にそのうちの一人だったというだけです。
しかし、自分は頑張りました。
当時は、高校時代に取得した英検2級しか持っていなかったので、準1級レベルからスタートでした。
『英検準1級英単語大特訓』(植田一三著・ベレ出版)を夏休みの最初の2週間くらいでやりました。
僕は、『パス単』のような一語一訳形式で説明がほとんどないタイプの単語帳とは非常に相性が悪かったのです。
しかし、この本( 『英検準1級英単語大特訓』 )は、一語一語の説明がかなり詳細で、自分との相性が非常に良かったです。
ただ、やっていて気付いたのですが、英検準1級レベルの単語は、半分くらい既に知っているものでした。ゆえに学習がスムーズに行った面は否めません。
次に、英検1級レベルの単語を覚え始めます。ここからが正念場です。
『英検1級英単語大特訓 』(植田一三著・ベレ出版)をひたすらやりました。
英検1級レベルの英単語の初見の印象は「難しい」でした。このレベルの単語は知らないものがほとんどでした。それがページをめくるたびどんどん出てくるのです。
同じ著者による準1級の英単語帳と違い、この本は、一語一語にほとんど説明がありませんでした。そこかキツイ。
ただ、意味の似ている単語同士を一気に紹介している構成上、初見の英単語を頭に入れる効果は非常に高かったです。そこは認めます。
さらに、難易度の表もついており、どんどん覚える意欲になりました。既に覚えた単語を確認して小さな達成感を得ることもできました。
これを1か月半くらいで何週もして頭に入れ、10月の英検1級1次試験に臨みました。
結果は、合格最低点と同じ得点で合格でした。85点が合格点で、自分も同じく85点でした。
しかし、続く2次試験はどうやって対策していいのか分からないまま突撃し、無惨に惨敗。
100点満点中60点取れば合格の試験で、47点くらいでした。ここの心理的ダメージは大きかったです。
英検1級の2次試験(面接)対策本は、当時は確か何も出版されていなかったはずです。
つまり、自力では対策不能な中、結構大きな点差で落ちてしまっていることになります。
正直、もう無理なんじゃないかと思えてきます。
しかし、もう一度例の英文学の演習を取って日々英語に触れながら、次の英検1級の試験の準備を続けました。
具体的には、『英検1級英単語大特訓 』(植田一三著・ベレ出版) をやり続け、まだ覚えていない単語を拾っていきます。
同時に、『発信型英語10000語レベル スーパーボキャブラリービルディング』(植田一三著・ベレ出版)の一般語彙セクションを集中的にやりこみます。
この本は、単語帳と呼ぶには壮大過ぎて、なかなか勧められないのですが、第2章の一般語彙のセクションはなかなか秀逸です。
洋書を読んでいて本当によく出る単語が厳選されています。さらに、難易度別なので、もっと覚えようというモチベーションにもつながります。
これらの単語帳で語彙を覚えつつ、英語の原書を読み、実際の用例に当たることで記憶の定着を図りました。
そして迎えた2度目の英検1級の試験。1次免除は使わず、もう一度一次試験から受けなおしました。
結果、1次試験は案の定合格。語彙のセクションは25点中24点でした。つまり1ミス。総合では88点。合格点は82点でした。ギリギリですね。
ここからが問題です。前回落ちた2次試験の対策です。
こればかりは自分の力ではどうしようもないと待っていると、なんと、『英検1級 面接大特訓』(植田一三著・Jリサーチ出版)が出版されました。
2次試験の1か月くらい前のことでした。これをやりこんだら普通に合格できました。100点満点中の70点でした。まあ普通くらいの点数です。
4)英検1級の本当の効果
英検1級を取ったからと言って、社会的に何か優遇されるかというと、そういったことは全くありません。
就職にも全く訳に立ちませんでした。その証拠に、100社くらい受けても全部書類で落ちました。中小企業もですよ。
だから、英検1級を取るとか取らないかとかは、本当に些末な問題です。でも、英検1級は本当にすごいです。
何がすごいかというと、英検1級は、試験勉強をすることで、洋書を読む素地ができるようになっていたのです。そういう試験です。
本当にすごい。
英検は語彙ゲーです。これは事実です。どの級でも、その級で要求される単語を覚えていけば、合格の可能性はかなり高まります。
逆に言えば、要求される語彙力がなければ、合格は非常に難しいようにできています。
これは1級にも当てはまります。
そして、英検1級に出題される単語は、洋書を読んでいて頻繁に出題される単語ばかりです。
実際に、3回生の後期に、再び英文学の演習を取って、Dracula を読んでいたのですが、初めて読んだ時(2回生の後期)と比べて、明らかに読みやすくなっていました。
1年前、初めて読んだときは、1行の中に分からない単語が3つも4つも出てきたのですが、英検1級レベルの単語を頭に入れていくにつれ、1パラグラフ(段落)に1つくらい⇒1ページに1つか二つ⇒1チャプター(章)に3個くらい、というように、どんどん知らない単語が減っていきました。
そして、知らない単語が減るたびに、どんどん読むのが楽になっていきました。(無論まだまだ未知の単語は出てくるのですが、それは1級を遥かに超えるレベルです。)
前は苦痛でしかなかった洋書の読解も、馴染みある話なら何とかできるところにまで力が伸びていたのです。(逆に言うと、馴染みのない内容の本には手も足も出ないのです。)
あれほど自分に何が足りなくて洋書が読めないのか分からなかったのですが、英検1級の試験対策をして、さらに実際に洋書を読みながら思いました。
こりゃ完全に語彙だな。
自分はとにかく暗記が苦手で、新しい単語を覚えるのを避けながら大学3回生まで進んでしまいました。
そして、大学(特に2回生以上)の勉強では、洋書や英語で書かれた論文を読みこなすことが要求されます。
それができなくて苦労していたわけですが、洋書を読むのに要求される語彙力というものがあります。
その事実を知らないで、「なぜ自分は洋書が読めないのか」と苦悶していた時に、ひょんなことから英検1級を受けることになり、こうした事実を知ることとなったのです。
なお、植田一三の本を勧めまくりましたが、尊敬しているとかそんなことは一切ありません。
何ならはっきり言いますが、彼が経営している語学学校行は行かない方がいいです。はい。
でも、単語に関しては、このレベルになってくると、彼が書いている本くらいしかありません。
多分、英検1級レベルというのは、市場的に売れないコンテンツなんだなと思います。受験者ほとんどいませんから。いても帰国子女とかそういう人ばっかりです。
なお、今後も洋書を読むのに苦労していくので、英検1級=洋書が読めるではないことを、重々認識しておいてください。
このことは次回以降語るつもりです。