1 効果的だった方法
生成文法をやるうえで、Noam Chomsky の著作は避けて通れない関門です。僕がとやかく言わなくともこの記事の読者ならそれは分かるはずです。
問題なのが、彼の著作が難しすぎることです。4000万語くらい多読を積んでいたころの僕でも、まるで歯が立たなかった記憶があります。
それでも僕は努力を続けました。
そしてついにChomsky の著作を読んで理解できるところまで実力を伸ばすことができました。
勝因として、
(1)これまで5000万語以上の多読を続けてきており、それが英文を読む際の「丈夫な足腰」として機能したこと。
(2)生成文法の勉強をまじめにやったこと。
(3)さらに、英作文を一定量こなしたこと。
の3つが挙げられるでしょう。
(1)はこれまで散々触れてきたのでこの記事では扱いません。(2)は英語の技能ではなく知識に分類されます。よってこれもこの記事では扱いません。今回扱いたいのは(3)です。
僕は大学院での今季の提出物(レポートおよび論文)を全て英語で書きました。レポート提出期には基本的に「(午前)読書⇒(午後)執筆」という一日の流れを継続できました。
この習慣をある程度継続していると、英作文力だけでなく、読解力も向上します。
例えば、英文を書いていると、「こういうことを表現したいのだけれど、適切な表現を思いつかない」という事態によく出くわします。
こういう記憶を保ったまま次の日の午前に英文を読んでいると、「あ、こういういい表現があるのか」と思わせる語彙や表現と出くわします。
そうした語彙、表現を午後の英作文で実際に自分で使ってみるのです。すると、英作文に使う語彙が豊かになるだけでなく、その表現に対する理解が深まって、読解にも効いてきます。
2022年の9月もこうして過ごしたのですが、この時期、午前中に読んでいたのが Chomsky の “On Binding” 等の古い著作です。
難解だとされる Chomsky の著作ですが、実は昔の物は比較的簡単で、2000年代以降から鬼のように難しくなってきます。”On binding” は80年代の著作です。
さて、Chomsky の著作を読みながら、実際に彼がよく使う表現を英作文で練習していくとどうなったのでしょうか。
案の定、実力は爆伸びしました。もっとも、これを狙っていたのではなく、レポートを何とか締め切りまでに完成させたいという思いと、Chomsky の著作を一つでも多く参考文献リストに挙げたいという虚栄心から起こったことです。
でも、よくよく考えてみると実力が伸びるのは当たり前ですね。5000万語の多読で培った「強靭な足腰」に加え、チョムスキーが実際によく使う語彙、表現、文法を積極的に英作文で使うという「アウトプット勉強法」まで知らず知らずのうちに実践していたのですから。
自分の実力が大幅に上がっているのは9月の下旬から自覚していました。今の自分の実力を試すべく、鬼の難易度だと分かっている Chomsky の2000年代の著作を読んでみました。
20004年の“Beyond Explanatory Adequacy.” と 2008年の “On Phases” です。
2004年の論文は今年の5月ごろに読んでまるで歯が立たなかった記憶があります。2008年の論文に関しては、「単語は拾えたけど・・・」というレベルでした。もはやトラウマを植え付けられているレベルです。
それがどうしたことでしょう。今は2004年の論文を読んでその理論の美しさを理解することができます。2008年の論文に関しては、部分的に分からないところがあるものの、全体の議論の流れは把握できます。
これを執筆しているのが同年の9月末なので、約4か月の努力が実を結んだことになります。
2 人生が楽になった。
こうして Chomsky の著作が問題なく読めるようになると、人生が明らかに楽になりました。
そもそも、生成文法家で Chomsky の著作を直接読んで理解できないのは問題です。
Chomksyの論文を読んでも独力で理解できないのなら、この分野では、誰か他の人が著作でChomsky の理論を説明してくるのを待つという「他力本願」の生き方しかできません。
(ここで言う「誰か他の人」とは、アメリカかイギリスの優秀な大学教授のことなので、英語ができないとここでも詰みます。)
他の人が解説してくれるのなんて一体何年先になるのか分かりませんし、そんな「他力本願」な生き方で自分は研究を続けることができるのかという不安に日歩苛まれることになります。
しかし、自分はもうそうした不安から解放されました。
今の自分の実力なら、分からないところは全て Chomsky の著作をそのまま読んでそのまま理解できます。何ならおかしなところも指摘できます。
そう、人生が圧倒的に楽になったのです。
3 新たな目標
こうして人生が楽になるにつれ、新たな目標も生まれました。
そりゃそうですよ、日々「自分は実は他力本願でしか生きていけない」ということを自覚しながら、小動物のようにおびえて暮らしていて、目標なんて生まれるわけがありません。
しかし、今は違います。Chomsky を読めるようになると、知的好奇心と心の安定が生まれます。すると、学術の面で新たな目標も生まれました。それは:
ルシファー状態になることです。
ルシファーというのは数学が無茶苦茶できる人で、「やる問題がなくなっちゃった(数学を練習しすぎてもうやる問題がなくなってしまったという意)」という有名な発言で知られています。
世の中の人はルシファー氏のこの発言を聞いて、「変な奴がいるな(笑)」と思ったのでしょうが、僕は彼のこの発言に一種の「ヒント」を見出しました。
これほどすごい人でも努力なしで数学が得意になったわけではないのだと改めて実感したのです。どんなに天才に見えても、その裏には血のにじむような努力があったのです。
つまり、自分もそれくらい努力を積めば生成文法で一流になれる可能性があるということです。では、生成文法の世界でのルシファーレベルの努力とは一体どれくらいなのでしょうか。
はっきり言って、分からないというのが率直な答えです。
Radford やRoberts やCinque 等、世界の一流の生成文法家たちは彼らがどれほど努力してきたのかをいちいち発表してくれません。
しかし、彼らの努力値を推しはかることはできます。学術的な著作には必ず参考文献リストというものがついています。ここには参考にした著作を全て列挙せねばならないという厳しいルールがあります。読んでも参考にならなかったものは当然リストに載せる必要はないのですが、1ページでも読んで参考にした本や論文があるのなら、必ず参考文献に挙げなければなりません。
さて、世界の一流の生成文法家は一体何冊くらい参考文献リストに載せてくるのでしょうか。
1000冊以上です。
(冊と言っていますが、論文も含みます。)
用紙と文字のサイズにもよりますが、1ページに10冊くらいの文献を列挙できます。一流の生成文法家の場合、それが100ページ以上続きます。よって、1000冊くらいは参考文献リストに載っていることになります。
これが生成文法の世界におけるルシファー状態です。
ただし、これはあくまで50代、60代で到達する長期目標です。20代の僕にとっては機能しません。要するに適切な短期目標が必要なのです。
ここで役に立つのが世界の一流大学の情報です。
例えば、プリンストン大で博士にエントリーするためには300冊以上の文献を挙げないといけないらしいのです。「博士にエントリーする」が具体的に何を指すのかはいまいち分からないのですが、世界レベルの研究をするための前提条件がここから見えてきます。
よって、この300冊というのを当面の目標としたいと思います。
さて、僕の進捗状況を知りたい読者に向け、このブログの参考文献ページへのリンクを下に貼っておきましょう。
僕は読んで参考にした文献をword file でリスト化しています。こうすることで、レポートや論文を書く際にいちいち本の名前を一から書かずとも、この word file から適切な個所をコピー&ペーストすることで参考文献リストができてしまうという一種の時短として始めた活動です。
しかし、自分が今までに読んだ本が具体的に分かるという、「学習過程の見える化」も実現しているので、重宝しています。
今ブログに掲載しているものは2か月くらい前のデータですが、定期的にアップデートしていくつもりです。
追記)
これを読んで生成文法をやろうと思った人がいるかいないかは分からないのですが、もしいるなら、英米の出版社から出ている良質な教科書からやり始めるのがベストだと思います。いきなり Chomskyを読むのは無謀です。
僕が「これしかだめ」と強く推薦する本はありませんが、僕自身は Andrew Radford という人の著作を読んで生成文法にはまってしまったことは事実としてあります。