1 英語は世界共通語
現在、学問の世界では英語が世界共通語として機能しています。
自然科学の分野でこうした動きが顕著で、どの国の学者も学生も英語の教科書や論文を使って勉強しているようです。
このことは京都大学理学部で生物学を専攻していた僕の友人にも確認済みです。
彼が言うには、生物学を専門的にやる場合、教科書も論文も英語のものしかないらしいです。
更に、日頃の勉学の成果を発表する論文も英語で書くのが普通のようです。恐らく専門用語の訳語がないのか、もしくは最初から英語で書いた方か楽なのかもしれません。
自然科学にとどまらず、文系の一部の科目でもこのように英語だけで全てが完結する傾向が見られます。
例えば僕がやっている生成文法はその典型例です。
僕も昔は日本語で書かれた生成文法の教科書で勉強しようとしたことがあります。
たしか、原理パラメター理論入門という本だったと思います。
専門用語の日本語訳が難しすぎて挫折しました。しかし、生成文法をやらねはならなかったので、英語文献を読み始めたわけです。
大変分かりやすかったですね。日本語の時の難しさは一体どこに行ったのかと思うほどでした。
以来、僕は英語の文献しか読まなくなってしまいました。レポートや論文を書く際も全て英語です。日本語訳が分からないのでそうしています。
このような事情があったため、生成文法をやりたいという人には、(そもそもそんな人と出会ったことがないのだが)英語が読めないと話しにならないと言うつもりです。
つまり、文系でも生成文法のような一部の分野では、英語が共通語になっているのてす。自然科学の諸分野と同様に、どの国の学者も学生も英語で勉強し、英語で発表します。
これが英語が学問の世界で世界共通語と言われる理由です。
2 英語は簡単な言語ではない
英語が簡単だから世界共通語になったという誤った考えを持っている人が意外と多いようです。
そもそも「簡単な言語」という物がこの世界に存在するのか謎なのですが、そこは譲歩して、彼らの主張を検討してみましょう。
英語簡単説を提唱する人たちによると、英語は覚えるべき文法が少なくて、習得が容易だから世界共通語に選ばれたらしいのです。
確かに、「英語が簡単」という主張は、ラテン語等の語形変化を多く用いる言語との比較においては受け入れたくなる気持ちも分かります。
僕自身サンスクリット語とトカラ語をやっていて、それらの言語が語形変化を多用することも良く知っています。
レポートを書く際に、この手の言語の複雑さはいやと言うほどわからされています。
でもやはり英語を簡単だとはみなせません。
例えば、「覚えるべき文法項目が少ない」とされる英語を多少なりとも細かく観察すると、意外と文法事項があると誰でも気がつくはずです。
例えば、英語という言語は語順に厳しいとか、時制や法助動詞(mayとか)の使い分けが意外と難しいとか、細かな前置詞の用法が複雑ということです。
ラテン語やサンスクリット語などの語形変化を多用する言語では、単語の活用変化がこうした要素を担ってくれているということも、少し勉強すれば分かるはずです。
ということは、動詞の活用 use uses used くらいしか無い英語は、動詞が沢山の活用変化を持っているラテン語等と比べて簡単なのではなく、シンプルにどういう方法を用いて文法要素を表現するのかが違っているだけのようです。
いわば言語のタイプの違いです。こういうことを研究する学問分野が、現に言語学にあって。タイポロジー(類型論)と呼ばれています。
3 英語が世界共通語になった理由
David Crystal によると、英語が現在の地位を獲得できたのは主に二つの理由があります。
一つ目が18-19世紀の大英帝国の存在です。世界史をやっていなかったという人でも聞いたことのあるはずの大英帝国とは、イギリスとその植民地から形成されていた一種の「帝国」です。
「帝国」が何なのかという議論は歴史書(あるいは歴史系ブログ)にお譲りするとして、とにもかくにも18-19世紀のイギリスはたくさんの植民地を抱え、「バカでかい」領土を持っていました。その「バカでかさ」を例えた表現が「日の沈まない帝国」です。
たとえイギリス本国は夜でも、イギリス領カナダやインドやオーストラリア(いずれもイギリスの植民地だった)などにはまだ日が指しているということです。地球を覆いつくすというのはかなり大げさな表現ですが、かつてのイギリスはそれに匹敵するほどの領土を持っていたのです。
ここまで広い範囲で英語が使われているとなると、英語の世界征服まであと少しと言ったところですね。
David Crystal が挙げてい英語が世界的な言語になった二つ目の理由は20世紀のアメリカの経済力および軍事力です。
経済力については言わずもがな、モルガンスタンレーなどの銀行がお金を貸すことで第一次大戦後のヨーロッパは復興できたらしいです。
ここまでの議論を追えている人ならもう分かったと思いますが、英語が世界共通語になれたのは英語という言語の外側の事情によるところが大きいのです。
言語の内側の理由というのは例えば、屈折(語形変化)が少ないとか、時制のシステムがシンプルだとか、そういったことを指します。ある言語の子音が発音しやすい(そんな言語あるのか?)と言ったことも言語の内側の話として扱えるでしょう。
一方、言語の外側の話というのは、ある言語がどれくらいの話者を抱えているとか、その話者が住んでいる国が軍事的に強いとか、そういったことを指します。
つまり、David Crystal の論に従えば、英語は言語の外的な要因で世界共通語になれたのです。
英語は他の言語に比べて優れているとか、習得が簡単であるとか、そういったことは一切ありません。ただただ、英語話者たちがバカでかい領土とアホみたいに強い経済力を長期間持っていただけです。
よく「英語は論理的な言語だ」という話を耳にしますが、David Crystal に言わせればどんな言語も論理的な表現は可能で、そういった論理的にズバズバいうことを好む文化とそうでない文化があるだけです。
要するに、論理的かどうかも言語の外側である文化の話なのです。
4 英語以外に「共通語」になった言語たち
ここからはおまけだと思ってください。英語の論文にも Appendix (付録)というものがよく載っています。それと同様です。
このセクションでは、「英語が簡単だから世界共通語になった」という主張をさらに危ぶめて行こうと思います。
歴史上ある地域の共通語になった言語はいくつかあります。もし「英語が簡単な言語だから世界共通語になれた」という人の主張が正しいのなら、地域限定ではあっても「共通語」の立場を手に入れる言語は決まって簡単な言語であるはずです。
以下そうした地域限定ではあるが共通語の地位を獲得したことがある言語について見ていきます。基本的に情報源(source)は David Crystal (2003) です。
4.1 ラテン語
ラテン語は言わずと知れたローマ帝国の公用語です。この言語はローマ帝国の拡大に伴って、地中海世界の公用語になりました。
地中海世界というのはイタリア、スペイン、フランス、バルカン半島(ギリシアがある半島)、アフリカ北岸等、地中海に面した地域のことです。(以下にウィキペディアへのリンクを貼っておきますので、参考にして下さい。)
Mediterranean Sea 16.61811E 38.99124N – 地中海 – Wikipedia
ラテン語は地中海世界での公用語の立場を4世紀くらいまで保ちました。
その後はローマ帝国の崩壊に伴って話し手の数は減ってしまいましたが、帝国の滅亡後も中世~近世(17世紀くらい)のヨーロッパで広く学問と宗教の公用語として使われてきました。
つまり、地中海世界という地域限定ではありますが、ラテン語は一種の公用語として機能していたのです。
さて、そんなラテン語ですが、名詞も動詞も屈折(語形変化)が多いです。英語簡単論者はラテン語と比べて英語はこうした語形変化が少ないので世界共通語になったと良く主張しますが、その「難しい言語」の例えに使われているラテン語自体がかつて公用語として使用されていたのです。
つまり、「簡単な言語が公用語になる」という論自体がここでもうおかしいのです。
世間的に難しいとされているラテン語が地中海世界の公用語になった理由はひとえにローマ帝国の軍事力のおかげです。
その証拠にローマ帝国の崩壊に伴ってラテン語の話者は急激に減ってしまいました。
ローマ帝国は隣接する国と地域をどんどん征服して属州(植民地)にしていきました。属州の住人は嫌が応でもラテン語を使わなければならなかったのでしょう。
2 古典ギリシア語
古典ギリシア語も屈折(語形変化)が多く、難しい言語の代表例に上がってきます。
しかし、こんな難しい言語も地中海世界や中東の共通語でした。
ギリシアもローマ帝国的に植民都市という取り組みをやっています。ミネアポリス(現在のナポリ)等が一例です。
さらに、それより後の時代にはアレクサンドロス大王が中東やイランを侵略しています。そういった地域でもギリシア語は公用語として使われていたでしょう。
3 アラビア語
アラビア語も中東~北アフリカにかけての広い地域で公用語として使われていた時代があるらしいです。僕はこの地域の専門家ではないので、今でもそうなのかは分かりません。
アラビア語がここまでの地位を得たのはやはり言語外の理由が大きいのです。
この場合はイスラム教を国教(国の公式の宗教)とする国々が領土を急速に広げたことが理由として挙げられます。
つまり、アラビア語が簡単だったとか、アラビア語だと美しい響きの詩が書けるといった理由でアラビア語が選ばれたわけではないのです。アラビア語話者の国の軍事力が強かっただけなのです。
以上3つの言語を見てきましたが、いずれもその言語の使い手たちの軍事的、政治的な強さで公用語の地位を手に入れたことが分かります。
英語も同様で、18-19世紀の大英帝国と20世紀のアメリカ合衆国の覇権で現在の地位を手に入れているようです。
参考文献)
David Crystal (2002) English as a Global Language. Cambridge: Cambridge University Press.