僕は、常々、人を論文や本などの著作で判断するように心がけています。(実際にそれができているかは…)
論文を読んで、「この人はすごい」と思えば、尊敬するします。逆に、「え、」と思うようなものを量産している人は、尊敬しないようにしています。
残念ながら、生成文法の世界では、後者が結構います。(誰かは絶対にここでは言及しません。直接聞かれたら、言います。)
さて、ここからが本題です。
僕は、周囲に「生成文法だったら、○○ が書いた著作を読むべき」と言ってくれる人が、いません。
まあ、世の中、そういう人のほうが多いでしょう。
そういう場合は、自分で論文集などにあたってみて、先ほど述べたような「この人の著作は、優先して読むべきだ」と思える人を見つけていかねばなりません。
むろん、楽ではありません。
感覚としては、ガチャを引いている感じです。
しかし、一瞬で引き終わる Fate Grand Order 等のソシャゲのガチャと違い、論文は一本読むのもかなり大変です。
もちろん、時間もかかります。お金もかかります。
しんどいと思うこともあるのですが、その中に、何とか喜びを見出すように心がけています。
「古本ガチャ」という企画も、その一端です。
さて、先日、古本ガチャで、The Cambridge Handbook of Historical Syntax. という本を入手しました。
こういう handbook 系は、一種の論文集です。関連する分野の論文が20本くらい載っています。
その中に、Anders Holmberg という人の論文があり、それは、特に新しいことを言っているわけではありませんでしたが、僕をうならせるほどの出来でした。
「この人は、かなりできる」と感じました。
後日調べてみると、もう結構なお年で、著作多数だということが判明しました。
この人の著作を読んでいくのが、今のちょっとした楽しみです。
さて、これがいいことなのかわかりませんが、近ごろは、こういうサイトで(↓)、ある人の著作がまとめて掲載されています。
しかも、迷惑なことに、被引用数でランク付けされて。
Anders Holmberg – Google Scholar
論文なり本なりの良しあしと、被引用数(どれくらい引用されているか)は、必ずしも相関関係にないと、僕は思っています。
YouTube で、視聴回数の多い動画が、必ずしも面白いとは限らないのと、理屈は同じです。
ちなみに、僕の気に入っている論文は、被引用数がめちゃくちゃ低いです。
さて、上のサイトによると、 Anders Holmberg 氏の著作のうち、一番引用されているのは、師の博論とのことです。
これだと、まるで博論がこの人の「人生での最高到達点」みたいに見えてしまいます。(多分違うのだが・・・)
とにもかくにも、尊敬する人の、しかも、被引用数が一番多い文献となると、ぜひとも読みたいものです。
博士論文というのは、多くの場合、web 上に PDF データが公開されています。
しかし、子の博論の場合、
スウェーデン以外からはアクセス不能です。
なんで?
シンプルに、なんで?
なんでスウェーデンでは OK で、日本じゃダメなん?