こんにちは、人助け専門家です。
今日も人助けを頑張っています。
人助け活動の一例
①言語学(特に統語論、意味論、音韻論)は英語文献しかない。
②お前らは英語文献が読めない。
よって、何もできない。
どうだ、悔しいか?
こういう風に、僕は人助けを頑張っています。
さて、本題。
僕は今、アメリカの大学院で博士課程をしています。
最短でも5年かかる博士課程ですが、心配なのがお金です。
アメリカの物価はめちゃくちゃ高いです。
者にもよりますが、日本の2倍~3倍くらいはします。
ならば、学費もさぞや高いはず・・・・
と思うのが自然です。
しかし、アメリカの博士課程は、多くの場合学費免除です。
僕もその例外ではなく、学費無償で学んでいます。
それに加え、われわれ博士課程の学生には、給料まで支給されます。
もちろん、TA という、教授の小間使いみたいなことをしたり、実際に科目を教えたりしますが、すべて英語なので、そこでもかなり学ぶことは多いです。
ここから給料が発生します。2週間で1000ドルくらい。手取りは700ドルくらいです。
(この間、給料の小切手をなくしてしまいましたが、「まあ、700ドルくらいええか。」と思いました。金銭感覚が狂ってしまったようです。)
そしてさらに、給付型(返還不要)の奨学金が、なんだかよくわからないタイミングで支給されます。年間4000ドルは確実にもらえて、何かのタイミングでプラスアルファが出ます。
アメリカでの博士課程にかかる費用は0円
厳密に言えば、生活費や医療費等、出費はあります。
しかし、それを上回るくらいお金をもらっているので、貯蓄に回している先輩もいるくらいです。
ブランドものを買ったり、(僕みたいに)スマホゲームにもらったお金をすべてつぎ込むくらい課金をしない限りは、すべての出費をアメリカでもらうお金を賄うことは十分に可能です。
日本人博士課程の学生はほとんどいない
ここからは問題提起のセクションです。
アメリカに来て数か月がたちました。来てすぐに気が付いたのですが、日本人の学生がほとんどいません。
そして、これはどうやら僕が通っている大学に限った問題ではないようです。
アメリカの大学院全体を見たときに、日本人の学生が相当少ないようです。
いったいなぜなのでしょうか。
「お金がないから」というのは理由になりません。
なぜなら、すでに述べた通り、アメリカの博士課程は多くの場合学費無償で、給料まで支給してくれるからです。
このおかげで、僕は京都大学にいたころより。はるかに羽振りがよくなりました。
買いたい本は、多少セダンが高くても(一冊7万円とか)、パッと買えるようになりました。(給付型奨学金+給料のおかげ。)
そして何より、FGO (課金制のスマホゲーム)では、びっくりするくらい強くなりました。
これを見て、まだ僕の強さを疑う人がいるなら、そいつはドアホです。
確かにしんどいことも多いアメリカ生活ではありますが、その分学ぶことも多いです。そして何より、金銭的には学生としてかなり恵まれています。(学費無償に給料支給、加えて給付型奨学金という3段構え。学会発表の際には旅費2000ドルまで支給)
なのになぜか、日本人の学生が異常なほど少ないのです。
繰り返しになりますが、「お金がないから」は理由になりません。
お金をもらい過ぎて貯蓄に回している先輩までいるくらいですから。
では、何が原因なのでしょうか?
僕が思うに、日本人の学生の国際競争力が低下しているからです。
アメリカの博士課程は、その大きい魅力のせいで、世界中の学生が狙っています。
入試はありませんが、論文審査等の戦いで、世界の学生と戦い、勝ち残る必要があります。
そして、アメリカの大学院を狙うような人の多くは、母国のエリートたちです。
この競争に、だんだん日本人が勝てなくなっているのです。これが国際競争力の低下ということです。
京大を思い出して・・・
さて、祖国のエリートたちである京都大学の学生たちと、僕のまらりにいる、世界各国から集まってきた精鋭たちを比較してみ今庄。
典型的な京都大学の大学院生(言語学専攻)の場合
- 英語文献が読めない
- ゆえに、参考文献リストは日本語の文献ばかり(参考文献リストがスカスカ ← 日本での研究は量も少なく質も悪いため)
- 欧米の研究にアクセスできない
- 論文も日本語で書く!
- よって、日本でしかやっていないような言語学をやって、一生を終える。
- 考える力が高い人が多い
アメリカの博士課程に集まってきた世界のエリートたち
- 幼少期から英語をガンガンにやっている (ネイティブ並みになっている奴もちらほら・・・)
- 参考文献リストが長大で、英語文献ばかり(ほぼ100パーセント英語文献)
- 処理すべき情報量の多さに、やられてしまっている人も多い (☚ 欧米での研究はとにかく量が多く、どんなに狭いトピックに絞ったとしても、すべてを参照することは不可能。つまり、「読むものがない」と典型的な京大言語学科の学生がよく漏らすような悩みを抱えることはまずない。読むべきものが多すぎて、ノイローゼになっている奴も結構いる・・・)
- 論文は英語で書くのが普通 (それ以外の選択肢をまず思いつかない)
- 考える力が高くない人もいる(i.e., バカもいる)