研究は楽ではありません。
英語文献が読めないので、出版社の力を使って、いちいち専門家を外注している「ゆる言語学外注」さんは、「ゆるく楽しく」をモットーとされているそうです。
僕の感想ですが、「ゆるく楽しく」などといっていいのは、ちゃんと英語文献にあたって、しんどい思いをした人ではないでしょうか。
僕からすれば、「完全に部外者である業者の人間がなんか言っとるわ」としか思えません。
そして、ここからが本題ですが、
研究は、しんどいことばかりです。
最近では、しんどい10割になってきました。
ただし、論文を書くのはそこそこ楽しいです。
何がそこまでしんどくなってきているのか、おそらくその理由は、
論文が鋼エネミーになってきている
からでしょう。
まず、英語文献しかないことは、もはや前提です。
でも、昔の論文(本は)よかったものです。
読みやすいし、ある程度得るものがあります。
もちろん、例外も結構ありましたが、それは、特定の著者だけです。
しかし、2010年代くらいから、生成文法業界はおかしくなり始めました。
このころから、Chomsky は求心力を失い、僕みたいな一部のハードコアな信者から圧倒的な支持を得る一方、大半の生成文法家は、彼の説を追わなくなってしまいました。
そういう人たちの論文を読むと、かなり難しく感じます。さらに、Chomsky を追っている側が書くものも、以前と比べてかなり難しくなってきています。
これは、ゲームなどで登場する鋼エネミーと同じです。
ゲームをやっていると、やたらめったら HP が高く、さらに防御力も高い敵に出くわすことがあります。
僕がやっている Fate Grand Order 界隈では、こういう敵を「鋼エネミー」と呼ぶらしいです。
それを聞いて僕が思ったことは、「こっちの世界では、論文が鋼エネミーになってきている」です。
そして、当然、鋼エネミーとと戦うと、しんどいです。
めちゃくちゃしんどいです。
はっきり言って、Chomsky も多少は鋼エネミー的なところはあります。
特に、彼の後年のものは、多少なりともその傾向があります。(要するに、難しい)
しかし、Chomsky の場合は、読んだら読んだだけ、返してくれます。(要するに、学ぶことが非常に多い)