祖母がすい臓がんに
どうも、ヒロアキです。ご無沙汰しております。
僕は、生まれた時からずっと祖母と一緒に暮らしてきました。実に。30年近くになります。
親が共働きだったため、「おばあちゃんっ子」だった面もあります。
今、祖母は90代です。
祖母は以前から「しんどい」とこぼすことがありました。しかし、皆、「その年になれば、しんどいのは仕方がない」という風に、まともに取り合ってきませんでした。
転機になったのは、今年に入って祖母が受けた血液検査です。当初は、糖尿病の疑いがあるということで、祖母は血糖値を下げる薬を飲んでいました。それでも数値が下がりませんでした。
医者に「もしかすると、腫瘍がインシュリンの出口を塞いでいるかもしれないので、一度精密検査を受けたほうがいい」と言われ、祖母は、母と共にCT を取りに行きました。
そして、末期のすい臓がんがあることが発覚しました。
付き添っていた母は、医者に「もってあと半年です」と言われていたようです。
本当に半年持ってくれるのならまだよかったのですが、現実はそう甘くないみたいです。
癌が発覚してから僅か数週間後、祖母の体に黄疸が出始めました。
黄疸というのは、体が黄色く変色していく現象です。
肝臓が分泌する胆汁が上手く流れでない時に起こってくる症状らしいです。祖母の場合、どうやら肝臓に転移した癌が胆汁の出口を塞いでしまっていたようです。
母が医者に祖母の黄疸について伝えたところ、医者は「あと1~2か月くらいしか持たない。いつ容体が急変してもおかしくない」とのこと。
正直、いきなりすぎて、僕はこのことを受け止めることができませんでした。
ホスピスに
そして今日、僕が朝起きると、祖母は床に倒れていました。
意識はありましたが、救急搬送で病院に運んでもらいました。
母が付き添って行きました。搬送先の病院の医師によると「もって、あと2週間くらい」とのことです。
祖母は、そのままその病院のホスピス(緩和ケア病棟)に入院することになりました。
祖母の手を握りながら思ったこと
ホスピス(緩和ケア病棟)に見舞いに行くと、祖母はぐったりしていました。
つい数日前まで、祖母は、かなりしんどそうではありますが、何とか普通の生活ができていました。なので、この弱り切った祖母を見るまでは、「あと2週間くらい」という医師の言葉が信じられませんでした。
しかし、病院のベッドに横たわる祖母の衰弱した姿を見た時、僕は、腹を括(くく)らねばならないと思いました。
祖母は、医療用モルヒネを投与されており、意識はかなり混濁しているようでした。
看護師曰く、この状態になったら、とにかく、しっかり見てあげること。それ以外は、もう何もできないそうです。
僕は祖母の手を握り、何もできないなりに、しっかり祖母の顔を見つめました。
黄疸が、体全体に広がっていました。
こんなになるまで、よく頑張ったなと思いました。
以前から、祖母の希望を聞くようにしていました。例えば、①会っておきたい人はいるか、②行きたい場所はあるか、等を聞いていました。
祖母は、こうした質問に対し、「もう会いたい人はいない。お前たち(=今の家族=母、僕、姉)さえいればいい。」
「行きたい所も、もう特にない。ただ、できるだけ長く家にいたい。」と答えていました。
「できるだけ長く家にいたい」という願いを聞いてから、母は、一日でも長く祖母が家に入れるように、かなり頑張っていました。
「癌でも長生きする食事」とか、そういう本がよく売られていますす。そうした本で紹介されている料理を作ったり、母は母なりに色々頑張っていました。
祖母自身も、病と闘っていました。
しかし、そういう段階は、もう終わったようです。
祖母は、もう家に帰ることはできないでしょう。
病院のベッドに横たわる祖母の手を握りながら、「90年以上も、よく頑張ったのだな」と、僕は思いました。
90年分の苦労みたいなものが、しわとして体に刻みこまれているように映りました。
そして、「いい人生だったんじゃないか」とも思いました。
というのも、こうなる以前に、「行きたい場所も、やりたいことも、もう特にない。お前たち(=今の家族)さえいればそれでいい」と言っていたからです。
30年近く祖母を近くで見続けてきましたが、この言葉に偽りはないと思います。
そして、残された家族3人が病室に来て、僕たち孫が祖母の手を握っているのです。
かなり幸せな人生だったのではないでしょうか。
後悔
ただ、僕には若干の後悔みたいなものがありました。
祖母の癌が発覚する僅か数週間前、僕は MIT に落ちました。
MIT は本命だったため、かなりこたえました。もう人生終わったとも思いました。
そして、そういう姿を祖母に見せていました。
その後、また新たな目標もでき、僕は前に進めています。自分の論文を出すという目標と、海外の大学院に進学するという目標です。
「まい進」はできていませんが、着実に一歩一歩進んでいます。それだけは確かです。
しかし、そういう姿を見せる前に、祖母はホスピスに入ることになりました。
願わくは、僕が少しは進んでいる様を見せて、安心させてから、逝かせてやりたかったのですが、それができませんでした。