1 僕は以下の二つしか思いつきません
世の中の英語学習者の大半が英語長文を早く読めるようになりたいという思いを持っていると思います。かつての僕も授業の課題として出される洋書や英語論文に手を焼いていたので、同じ思いを抱えていました。
毎週課題として英語の小説を40ページくらい読んできて、2周に1回発表をするというものでした。この量の課題を間に合わせるために毎週渾身の力を使っていました。案の定5週間くらいすると病んでしまいました。僕の最初の英語との「勝負」はこうして惨敗に終わりました。
僕はそれから多読を5000万語以上積みました。決してこの数字を目標にしていたわけではなく、自分の英文を読む力を上げたいと思ってやっているうちにここまで来ました。
これほど英語の多読をしていると、嫌でも英語を読むのが速くなります。ただし、まだまだ自分の目標には届いていない感じがします。
さて、今まで真剣に努力を積んできて、さらに言語学の知見も身につけた僕が考える長文を速く読む方法は残念ながら下の二つしかありません。
(1)7歳以下でやり始める。(14歳以下でも可)
(2)15歳以上ならひたすら頑張るしかない。
人間は7歳以下で接触した言語を母語として身につける能力を持って生まれているようです。だからこそ大した努力もせずに皆母語を身につけることができるのです。この能力は生物学的な物だと言われています。
「生物学的」という言葉で僕が意味しているのは、鳥は誰にも飛び方を教わらなくとも飛べるようになるとか、魚は親に泳ぎ方を教わらなくとも泳げるようになるという現象と人間の母語習得は同列に扱った方がいいということです。このアイデアは Noam Chomsky にまでさかのぼることができます。要するに、人間は母語を習得する能力を持って生まれてきているのです。
この能力が一番効果的に働くのが7歳くらいまででだと言われています。人間はこの時期に接触した言語を母語として習得できるようになっているようです。
また、この時期にどの言語にも接触できなかった子供は、そういう集団に属することで新しい言語を作り出し、それを母語として習得します。ニカラグアで新しく誕生したとされる手話 ISN がまさにその典型例だとされています。ググれば出ると思いますし、僕のブログでも解説しています。
母語習得の機能は14歳以下でもある程度は機能するらしいです。なので、この時期に良い英語の先生に出会うとか、親が言語習得に理解があるとか、子供自身が洋楽や洋画に興味を持って積極的に外国語の音声情報をインプットする等の条件を満たすと、そういう子供は英語が準ネイティブレベルくらいまでできるようになります。
僕はかねがねこういう人たちが発信する英語学習法に関する情報を普通の人が鵜呑みにするのは危険なんじゃないかと思ってきました。この年代で学習を開始した人は、生物学的に言語を習得する機能が働いた結果できたはずです。彼ら(彼女ら)と僕みたいに19歳で英語を始めた僕とでは根本的に違います。
世の中で英語学習法に悩みを抱えている人の大多数は僕みたいなタイプだと思うのですよ。30代で急に英語をやらなければならなくなったという人なんかは僕と近い立場にあると思っています。そういう人は僕みたいな人が発信する情報に耳を傾けたほうがいいのではないでしょうか。
言語学に明るい人なら、15歳以上で外国語を始めた場合、どうあがいても母語のようには習得できないことが分かるはずです。ここからは完全に私見なのですが、15歳以上で学習を開始した人は、外国語をスキルとして習得するしかないはずです。
こういう事情があるから、僕は上で(1)7歳以下でやり始めるか(2)15歳以上で始めたのならひたすら頑張るしかないと主張していたのです。
あなたがもう15歳を過ぎているのだったら、ひたすら頑張るしかないです。なぜならこの年代でやる英語はスキルに他ならないからです。そしてスキルは頑張らないと身につきません。
2 何をやればよいのか
外国語がスキルだとすると、(1)どういう方法で身につければいいのかという方法論と、(2)どれだけ修練を積めばいいのかという時間の面での疑問が生じるはずです。
方法論について言えば、どんな方法でも構わないと僕は思っています。なぜなら、どの方法が合うかなんて完全に人次第ですし、どういう方法を取れるのかもその人が置かれた状況に大きく左右されます。
昔の僕は視野が狭い人間で、長文を読むためには多読と語彙増強が一番いい方法だと考えてきました。他の勉強法は時間の無駄だとさえ思っていた時期があります。
僕はそんな勉強法で6年近くたった一人でやってきました。今、僕は京都大学の大学院にいます。京都大学には多くの外国人留学生がいます。京大の上位層の中には、彼らと積極的に話すことで英語力を伸ばした人もいます。彼を見て思うのが、本当に勉強法は人によるのだなということです。
ただし、注意したいのが、彼がやった「留学生と話しまくる」という方法は、京都大学だからできたことなのかもしれません。外国人留学生があまりいない大学や、そもそももう社会人である人がそうやすやすと真似できる方法ではありません。
また、この記事を読んでいる人の多くが長文を読む能力を伸ばしたいと考えているはずです。よって、この記事では多読をご紹介します。多読は本さえ買うことができるのなら一人でもできます。また、これが僕が継続できた唯一の勉強法です。
そもそも、多少難しめの英語の長文を読めるようになるためには、簡単なレベルの英文を日頃から沢山読んでおきましょうというのは、シンプルで分かりやすい主張だと思うのですよ。これは、マラソンを走りたいのなら日々走る訓練をしておきましょうというのと同列です。
多読をすると良いことがあります。僕自身5000万語以上読むと、言語学で最難とも言われる Noam Chomsky の著作を読んで理解できるようになりました。残念ながら自分の専門分野以外の理論言語学(生成文法や認知言語学等の理論ベースの言語学)の本を読むと分からないことが多いのですが、それ以外ならかなり多くの言語学関連の本を読んで理解できます。
今は Cambridge Handbook of Generative Syntax という本を読んでいます。いろいろな人による論文が載っているのが良いですね。視野が広がります。
3 どれだけやればいいのか
英語の読解力を上げるための方法として多読を紹介しましたが、一体どれほどやればいいのでしょうか。
結論から言えば、どこまでもやり続ける必要がありそうです。僕は既に5000万語ほど多読していますが、まだまだできないことの方が多いです。世の中には多読で億単位の語数を読んでいる人もいます。
研究者などはそのいい例ですね。イタリア人の生成文法家 Cinque 先生は著作の参考文献欄リスト載っている本の数から判断するに億単位の英文を読んでいるようです。
彼の主要著作は全て英語で書かれています。彼が書く英文を読むと、彼が相当な実力者であることが分かります。さすがに英語のネイティブスピーカーには及ばないのですが、かなり多くの物事を英語で表現できています。脱帽すると同時に、自分の目標にもなっています。
ここでこの記事を終えてもいいのですが、これだとあまりにも味気がないので、僕のこれまでの多読日記みたいなものを付録でつけておきましょう。
多読1年目(2016年末~2017年末)
既に英検1級は持っていました。それでも英語を読むのがあまりに遅く話にならないということで図書館にあったレベル付き洋書を読み始めます。レベル付きの洋書とは、Oxford Bookworm Series や Penguin Readers 等の使用される語彙が制限された英語学習者用の読み物です。これを読み始めました。
1年以上かけて図書館にあった物をほぼ全て読み終えました。300タイトル近くあり、この時点でおそらく1000万語近く読んだと思います。
多読2年目(2017年末~2018年末)
この時期は教員免許を取るために佛教大学の通信課程に在籍していました。毎月レポートを書いたり、テストを受けに行ったりしていました。今思えばこの「テストを受けに佛教大学まで行く」という毎月のイベントが僕の引きこもり防止につながっていたのでしょう。
なので、多読にばかり集中していたわけではありません。
多読に関しては、『ダレンシャン』や『エラゴン』シリーズ等を読んでいました。『エラゴン』は当時の僕にしては多少難しすぎる読み物でしたが、読んでいてかなり力がつきました。何せ全4巻あり、1冊当たり25万語くらいありますから(1巻目は語数が少なめで15万語くらいしかない)。
就職全敗で既卒でしたが、今思うと割と多読を楽しめていたようです。読む物のほぼすべてがファンタジーだったので、現実逃避をしている感もありました。そういえば昨今はアニメでも異世界物が大流行です。やはり皆現実逃避の一つや二つくらいしたいようです。僕の現実逃避は英語で書かれた小説だったのです。たったそれだけの話です。
当時の僕の実力を思い出すことは難しいのですが、多少難しい洋書に苦戦していた覚えがあります。読んでも分からないわけではないのですが、読むと相当疲弊しました。
そうやって1年を過ごしたのでした。累計の多読語数は2000万語に届いていなかったと思います。
多読3年目(2018年末~2019年末)
このころから、教育実習やそれに向けた準備などであわただしく動きました。はっきり言って無意味でしたね。
この時期の後半戦に、ダンブラウンの著作や『指輪物語』も読みました。力が伸びてきて、自分にとって多少背伸びした本でも対処できるようになってきたのです。
それから、教員としての就職活動もこの年に行いました。いろいろ思うところはありましたが、日本の私学の未来は明るくないとは感じました。深くは語りませんが。
多読4年目(2019年末~2020年末)
この一年間は本当に色々ありました。仕事を失ったりとか。
私学の教員として半年くらい働いて、今で辞めてから2年くらいたつのですが、まだ体調が本調子には戻りません。本当に大変な所でした。
結局半年で仕事を辞めて、大学院を目指して勉強することにしました。本当は海外の大学院に行きたかったのですが、いきなりでは敷居が高すぎました。
2020年の12月くらいから英語で書かれた言語学の教科書を読み始めました。Oxford が出している良著でした。
多読5年目(2021年)
大学院入試に向けて、この年の前半は本当に頑張りました。前職で精神的にぼろぼろにされてしまったのによく頑張れたものだと思います。当時は「しりに火がついている」感じだったのでしょう。
生成文法という分野と出会ったのもこの時期です。Andrew Radford という人が書いた教科書をほぼ全て読みました。
英語教師として英文法等を教えていましたが、実は自分でも分からないことが多かったのです。大学2年の時に英文法マニアと呼んでもいいくらい英文法の勉強をしたはずなのに、実は分からないことがかなり多かったのです。
Andrew Radford が書いた生成文法の教科書を読んで、「ここまで分かっているのか」と驚愕したことを覚えています。まさに深淵をのぞき込んでいる感覚に陥りました。
こういう出会いがあったからこそ僕は今生成文法を勉強しているのです。
Radford が書いた教科書を一通り読み終えた後、院試対策としていろいろ読みました。Cambridge History of the English Language の2巻目くらいまではほぼ全てのチャプターを読みましたし、残りの巻も syntax の章は読みました。
京都大学の院試は学部にもよりますが夏と冬の二回実施されます。できるだけ早くニートの立場から脱却したかったため、8月初頭の夏入試に照準を絞りました。
6月の時点で、自分が生成文法と英語史にばかり知識が変調していることも自覚していました。なので、言語学(英語学)全てを網羅するような本を一冊読んでおこうと思いました。
そこで僕は Huddleston, R. and Pullum, G. K. (2002) Cambridge Grammar of the English Language. Cambridge: Cambridge University Press. を読むことに決めました。
本編だけで1700ページ以上ある大部な本で、現代英語に関するあらゆる側面を扱っています。これだけ読んでそれでも落ちるのなら仕方がないかなと思って読み始めました。
当初の計画の倍である2か月の歳月をかけてこれを読破しました。
結局入試当日までに読み終えることができず、20ページくらい残ってしまいました。入試2日目が面接だったのですが、それが終わってから家に帰って残りの20ページを読み終えました。
これを読み終えるころにはくたくたに疲れてしまって、d-アニメストアで『魔法科高校の劣等性:来訪者編』とかを見てしまいました。リーナがかわいかったです。僕の好みとジャストではなかったのですが、かなりいい線をいました。
1日くらい堕落した記憶があるのですが、それからすぐに次の目標に向け版張り始めました。
英語で書かれた教科書は当時から読めましたし、Cambridge Grammar 等のそれほど難しくないことを解説している本も読めました。しかし、Cambridge Studies in Linguistics 等の最先端を行く著作や論文などを読んで理解する力はありませんでした。
当時の僕にできたのは、どの学者にも受け入れられていることを解説した洋書を読んで理解できるという、本当にちっぽけなことだけでした。Noam Chomsky の著作など、理解が及びませんでした。
多読6年目(2022年)
Cambridge Grammar を読んでから半年ほど修練を積むと、Cinque やRadford 等が書いた専門書(Cambridge Studies in Linguistics というシリーズで刊行されている)を読んで理解できるようになりました。2022年の2月ごろだったはずです。
そのまま大学院に入学し、課題やら何やらで多読のペースは落ちました。ブログを始めたことも大きかったですね。収入のために莫大な時間をここに投入していますから、当然勉強時間は減ります。単純な引き算の関係です。
ただし、それでも多読ができる時にはできるだけやりました。すると、今年(2022年)の9月末くらいには Noam Chomsky の著作を読んで理解できるようになりました。
総括
あんまり言わない方が良いのかもしれませんが、今僕は海外の大学院の出願手続きの最中です。合格率が19パーセントしかないので、あまり楽観視はできません。
ただし、かつては嫌いだった英語の長文対策をしているうちに、気が付けば夢だった留学が目に見える所にまでやってきたのです。
人生は面白いですね。