1 結論:Noam Chomsky の The Minimalist Program が容易に感じられます。
僕はこれまでに英語の多読を5000万語以上してきました。多読を始めたのが2016年の末で、今この記事を書いているのが2022年の9月末です。つまり、実に6年近くの歳月をかけて多読をしてきたことになります。
多読の必要条件は1000冊1億語とも言われる中、今回はこの5000万語という何とも中途半端な量をこなした僕の「中間発表」を行いたいと思います。
多読を始める前の英語力:
英検1級。長文が特に弱い。洋書なんて逆立ちしても読めない。洋書を読んでいても、CNN を聞いても、洋画を英語字幕で見ても自分の分からない単語が山のように出てくる。⇒病む
5000万語多読した後:
(1)洋書を当たり前のように読めるようになった。もう並レベルの難易度の洋書に手こずることは無くなった。
(2)そして何より、言語学で最難関とされる Noam Chomsky の著作を読みこなせるようになった。物にもよるが、The Minimalist Program 程度はもう容易に感じられる。
(3)そもそも、もう洋書しか読まなくなった(漫画は除く)。
(4)自分の専門分野(言語学、生成文法)以外の分野の洋書にはさすがに手こずるが、小説や英字新聞等は読んで普通に分かる。
(5)CNN やABC news や TED を聞いても(より正確には字幕を読んでいても)、洋画を英語字幕にしても、自分の知らない表現とほとんど出くわさなくなってきた。そういう表現に出くわしたとしてもほとんどの場合、(a) 文脈から理解できるか、(b) 専門用語である。
(6)昔と比べて英語を読むのが圧倒的に早くなったように感じる。例えば、TOEIC のリーディングセクションでは時間が余ります。読むジャンルにもよるのですが、一日で洋書を100ページくらい読むことも不可能ではありません。
まあ、こんなところです。要するに、多読を5000万語くらいすると大抵の洋書は読みこなせるようになります。
それでもやはり母語のようにはなりません。母語のようには早く読めませんし、母語なら楽に読めるはずの物(例えば、歴史書など)にもやはり苦労します。
例えば、ある歴史の授業で1週間に教科書を100ページ読むという課題が出たとしましょう。それが和書なら「楽勝」なのですが。洋書ならそんなに楽にはできません。その授業にために1週間のスケジュールを調整しなければなりません。
(ちなみに僕は今年の後期にアメリカ人による英語での歴史学の授業に出る予定です。毎週の課題がこんな感じです。)
2 多読をやってよかったこと
まず第一に、洋書を読めるようになった点です。
洋書を読むために多読を始めたので、僕はある意味「もう当初の目標は達した」状態にあります。
しかし、まだまだ難しいと感じる論文や著作が大量にあるので、それを読むために多読を続けます。
簡単な洋書が読めるようになって、それでも多読を続けていくと、それまで難しいと思っていた洋書が普通レベルの難易度に感じられる時がやってきます。
これが成長曲線での「伸びる時期」というやつなのでしょう。僕はこの「伸びる時期」が大好きで今も多読を続けています。
これが多読をやっていてよかったことの二つ目です。能力の伸びを体感できるのです。
例えば、昔の僕は The Cambridge Grammar of the English language. という本が難しすぎて読めませんでした。
英文法を真剣にやっている人なら参照して当たり前とされているこの本ですが、当時の僕には英語が難しすぎて何が何だか分からなかったのです。
しかし、言語学をするようになって、Andrew Radford という人が書いた生成文法の教科書を全て読みました。そうすると言語学の擁護が分かってきたのか、それとも僕の英語読解力がそのものが上ったのかは分かりませんが、The Cambridge Grammar of the English language. を読んで分かるようになりました。
それからさらに1年以上が経過しました。その間、色々な洋書を読んできました。The Cambridge Grammar of the English language. よりも難しい本ばかり読んできたと自負しています。
すると、今では The Cambridge Grammar of the English language. が簡単に感じられるようになりました。
昔は難しいと思っていた本が、努力を続けるうちにいつの間にか簡単になっている。多読を続けるとこうした場面と何度も出くわすことになります。
これが僕が多読を続ける原動力の一つです。要するに、多読をすることで自分の能力の伸びを実感できるところです。
また、最近 Noam Chomsky の著作を直接読んで大した苦労もせず理解できるようになってきました。これも自分の能力値の伸びの現れです。
僕は元々 Noam Chomsky の著作を原書で読めるようになりたいと思って言語学を勉強していたので、ここでもある種「当初の目的を達した」状態になってしまいました。
ただし、今でも読んで分からない文献はありますし、ものすごく苦労しなければ理解できない本も多いです。しかし、この調子で多読を続けていくといつかこういう難しい本も普通に理解できるようになると思っています。
多読を続けて良かったポイント三つ目が、他の目標を設定できたことです。
大学入学時は英語が全くできなかった僕ですが、多読をしまくることで、洋書をスムーズに読めるようになりました。
当初は授業の宿題で出される洋書が読めなくて英語の勉強を始めたので、「英語でコミュニケーションをする」とか「英語を聞けるようになりたい」とか「英語を話せるようになりたい」といった高尚な目標は一切ありませんでした。
ただただ宿題として出される洋書や英語論文を少しでも楽に読めるようになりたい一心で英語の勉強を始めたのです。
それからというもの、勉強に必死になりすぎて「道から外れた」感はありましたね。学部時代に就活全敗で留年し、それでも就活全敗でそのまま卒業しました。通信制の大学で教員免許は取りましたが、少子化でもう教員がいらなくなっているという現状を目の当たりにしました。その後、履歴書に空欄もできました。
そして今、大学院生として京都大学に返り咲いた形になります。Noam Chomsky の著作を読めるようになって、この分野では「読む」という行為に関しては要求される最低基準をクリアした感覚はあります。
Noam Chomsky の著作を直接読んで分かるレベルの読解力が身につくと、生成文法に関する他の洋書や論文も大体全て読んで意味が分かります。
そうすると、英語を話す、聴く、書くという他の3技能もある程度できるようになりたいという意欲も出てきました。
そこが良かったですね。リーディングという1点突破の勉強法で、結局のところ他の技能も身につけたいという意欲につながったのですから。
また、リーディングがある程度できるようになると、他の技能を身につけるうえでそれ相応のメリットもあります。
例えば、リスニングをしていて聞き取れない部分は「スクリプト」というものを見て確認します。スクリプトというのは、放送された英文が文字に起こされたものです。(スクリプトが存在しない聴解素材もあるが、初学者には向かない。)
多読を始める前、 『CNN English Express』という雑誌で英語のリスニングを鍛えようとしていた時期がありました。しかし、スクリプトを読んでも理解できなかったため、続きませんでした。
そりゃそうですよ、この場合のスクリプトとは、CNN news がそのまま文字に起こされた物ですから、それ相応の難易度はあります。おそらく、普通の英字新聞を難なく読めるレベルの力がないとCNN のスクリプトは手に負えません。
多読を始める前の僕は無論英字新聞なんて読めませんでした。よって雑誌『CNN English Express』のスクリプトが難しすぎたのです。難しすぎる教材を長く続けることはできません。結局90冊くらいは続けることができたのですが、それ以降は精魂尽き果てました。
それから6年近く立ちます。月刊誌『CNN English Express』もかなり変わってしまいました。昔は内容が盛りだくさんで、「これを1か月でこなし続けたらすごく力がつくだろうな」と思わせるほどでした。しかし今(2022年)は冊子自体が薄っぺらくなってしまいました。
ただし、同じCNN News を元に作られているため、本編の難易度の差は小さいはずです。
この教材を今見て、僕の反応は、「普通に分かる」です。聞き取れるかは別にして、読む分には苦労しません。
他の教材でも似たようなことが言えます。TEDというWEB サイトをご存じでしょうか。英語での講演をたくさん聞けて、英語の字幕も出せる優れもののサイトです。そんな英語学習者の強い味方であるTED なのですが、昔の僕には何の意味もありませんでした。
僕が学部2回生の時、英語の授業で、「TED の公演を一つ見てくる」という課題が出ました。指定された公演を見たのですが、さっぱり分かりませんでした。
確かに字幕は出るのですが、一文一文に当時の僕が知らない単語が使われていました。字幕を読もうにも、読んでいる途中に次のセリフの字幕が出てきて、追いつけなかったですね。
それで、TED 嫌いになってしまったのです。「字幕なんてあっても意味ね―じゃねーか」と。
しかし、今では、TED の字幕を読んでいても苦労はしません。聞き取れるかどうかはまた別の話なのですが、字幕を読むというレベルでは難なくこなせます。次の字幕が出る前に当該の字幕を全て読み切ることが容易にできます。なので、一時停止ボタンは使わなくなりました。
洋画でも同じことが言えます。洋画で英語字幕にして観るという勉強法を聞いて、ミーハーな僕は早速実践して見ましたが、TED と同じく歯が立ちませんでした。今読んでいる字幕を読み終える前に次の字幕が出てくるのです。それくらい英文を読むのが遅かったのですね。2015年のことでした。
最近、『プロメテウス』という映画でこの勉強法を試しているのですが、英語を聞き取れるかどうかは別として、字幕を全て読み切り、なおかつ自分の知らない単語とはほぼ出会わなかったので感心しています。約7年かけて自分の力はここまで伸びたのだと。
以上、長々と書いてきましたが、要するに、英文が読めるようになると、他の技能の訓練の際にも何かと便利です。スクリプトを読んだり、字幕を読んだりするのが楽になります。さらに、未知語を辞書で引く必要もなくなります。
僕がこのレベルになれたのも多読のおかげです。多読を始める前から英検1級は持っていたのですが、さらにそこから多読で出くわす単語を日々吸収していったのですね。もちろん最初の方は辞書を引くことも多かったはずですが、徐々に辞書を引くことがまれになってきました。
結論
多読は5000万語程度すると実際に効果は出ます。