1 僕は勉強記が大好きです。でも・・・
僕は合格体験記や英語学習記などの「勉強記」が大好きです。試験合格やTOEIC の点数アップ等、具体的な目標に向かって困難を乗り越えながら進んでいく人を見るのが好きなのです。
また、勉強記を読めば、人がやった勉強法について知ることができる点もいいですね。こんな勉強法があるのかという発見があったり、効果的だが自分には逆立ちしても真似できない勉強法が紹介されているケースもあります。
勉強記は確かに読んでいて面白いのですが、これが情報商材であることに注意する必要があります。
情報商材というのは、「○○すれば株で儲かる」とか、「モテたければXXしろ」とか、「英語ができるようになりたければ▲▲すべし」といった「成功のための方法論」を扱っている商材です。
この手の商品で気を付けたほうが良いことは、その本を読んだとしても99%の人は成功しないということです。なので、情報商材はほとんどの場合買うだけ無駄ですし、たとえ無料の情報商材であっても読むだけ時間の無駄です。
僕のように、勉強記を読むのを自分の趣味だとして割り切っている人ならまだいいでしょうが、勉強記から実利を得ようとする人にとっては厳しい現実だと思います。
因みに、僕のブログやYouTubeチャンネルでもこうした「勉強記」や「勉強法」のコーナーがあります。もちろんこれも情報商材で、僕の紹介する方法論で成功する人はまずいないと思います。
もちろん、僕のブログで紹介する方法論や勉強法は僕が誠心誠意自分で試して効果を実感できたものです。また、効果がなかったものはきちんと効果がなかったと書いています。
情報商材の中では僕の発信する物はかなり正直な部類です。
でもダメなのです。
その理由をご紹介していきましょう。
2 理由1:読んでもやらない。
もっとも多いパターンはこれです。
いくら人が丹精込めて効果を確かめた勉強法を紹介しようが、それを実践しなければ効果が出るはずもありません。
確かに、僕が繰り返し提唱する「語彙増強⇒多読」というサイクルは多くの人にとって効果が出やすいものだと思います。
もちろん、どの学習法が誰に合うかは完全に人によりけりですし、これ以上に効果のでる学習法は実際にあります。(最近僕が実体験しました。)
しかし、多読が効果的だというのも確かな事実です。
このブログでもたびたび多読を紹介してきましたが、実際に多読をやらなければ、当然多読による効果は得ることができません。
多分こういう人が全体の99パーセントくらいです。
だからこそ、勉強記や勉強法を扱った本は無意味なのです。結局そこで紹介されていることをほとんど誰もやらないからです。
3 理由2:レベルの差がありすぎる。
僕は大学院に入って英文を書くことが多くなりました。理由としては:(1)日常の読書が(漫画を除き)全て英語のため、生成文法の専門用語の日本語訳が分からなくなった。そのため、提出物を全て英語で書かねばならない。(2)英語で行われる講義を多めに履修した。です。
大学院での全ての提出物を英語で書いてきました。具体的な分量は不明ですが、2万語近くは書いていると思います。さらに、「自主トレ」として生成文法の解説を45ページほど英語で執筆しました。
これだけ英文を書くと何が起こるのでしょうか。
まず、英文を書くのが多少は上手くなります。さらに驚くべきことが、英文を読む力まで上がりました。
僕は一日の中でも朝に集中したいタイプなので、難しい英語論文を読むといった真に頭を使うことを午前中にするようにしています。逆に午後には文章を書くといったあまり頭を使わない作業的なことをするようにしています。
なので、レポート(全部英語)執筆期や「自主トレ」期には、「(午前)英語多読⇒(午後)英文執筆」という一日の流れが出来上がっていました。
この習慣が効果的だったようです。
英文を書いていると、「こういうことを伝えたいのだけれど、適切な英語のフレーズが分からない」という局面に何度も出くわします。
その次の日の午前に Noam Chomsky の論文を読んでいると、「あ、こういう表現があったのか」という発見をします。
それを、その日の午後の英作文で実際に使うのです。
(語彙やフレーズを人の論文からとってくるのは剽窃にはなりません。もし他人が使った語彙やフレーズを他の人が二度と利用できないのなら、もう誰も論文を書けません。)
こうして実際にそのフレーズを英作文で使ってみると、次に英文を読んでいる時に同じフレーズと出くわした時、理解がスムーズになります。
これを何度も繰り返すと、英作文に使う語彙・表現が豊かになっていきます。さらに、読解で同じ表現に出くわした時の理解も数段深まるので、読解力まで上がってしまうのです。
余談ですが、ここ最近僕はずっと Noam Chomsky の論文を読んできました。なので、僕の英作文は使う語彙やフレーズがどことなく彼の物と似てきました。良いことです。
まとめると、「午前にChomskyの著作を読みまくる⇒午後にアウトプットとして英作文をする」というサイクルを繰り返した結果、英作文がうまくなっただけでなく、Chomskyの著作も読みやすくなったのです。素晴らしい。
さて、「英文のインプット⇒作文などでのアウトプット」という流れが非常に効果的であることが実証できたので、ブログ等を通してこの情報を発信していくとします。
しかし、この情報はほとんどの読者にとって無駄なのです。9割くらいの読者はこれを実践しようともしません。そんなものです。そればかりでなく、実践しようとする人にとっても無意味であることが多いのです。
その原因はシンプルに僕と皆さんの間にレベルの差がありすぎるからです。
僕はこれまでに少なくとも5000万語は多読してきました。これほど多読をしてしまうと、半強制的に英語の地力がついてしまいます。なので、英作文もほとんど練習をしなくても初めからある程度書けました。
もちろん、真の上級者と比べて僕の書く英文は語彙・表現がかなり貧弱だということは分かっていました。自分の書く英文は中学2年生の教科書レベルの文に専門用語が散らばっているだけだということも分かってしました。
ただし、言いたいことの大部分をシンプルな英語で表現することはできていました。
だからこそ、語彙・表現を豊かにするための訓練である「多読⇒英作」という方法が有効に機能したのでしょう。英作文がうまくなっただけでなく、読解能力まで向上するという相乗効果まで得ることができました。
しかし、ほとんどの人は僕のやった方法をまねようとしても無駄なのです。
僕がやった方法を再現するためには、(1)洋書を読んで特に苦労せずに理解できるだけの読解力が必須であり、僕の場合はこの能力を養成するために5000万語以上の多読が必要だった。なおかつ、(2)自分の言いたいことをシンプルな英語で表現できるだけの英作文能力が必要であるからです。
大半の読者はこの(1)(2)を両方揃えることができません。そもそもどちらともできない人が圧倒的多数を占めていることでしょう。
そもそも勉強をしない人が人口の圧倒的多数であることと、僕の方法論を実践できる人がかなり少ないことを考慮に入れると、このブログに書いてある方法論で実際に成果を上げられる人は全読者の内1~2パーセントくらいではないでしょう。
僕が発信する勉強法は丹精込めて自分の身をもって効果があることを証明したものばかりなのですが、以上の理由から無駄になっているケースが多いようです。
4 1パーセントのために書く
では、ほとんどの読者にとって無駄だと分かっていながらなぜ僕がこうした情報を発信し続けるのかという疑問が発生してしまいます。
かなり個人的な答えになってしまうのですが、僕は「かつての僕みたいな奴に届いてほしい」と思って書き続けています。
僕は英語が苦手なまま大学に入って、「死んだ方がまし」と思えるくらいしんどい思いをして英語を何とかものにしました。
洋書が読めるようになるまでに何年もかかりましたが、不幸だったのが、自分みたいなタイプの人と出会えなかったことです。自分みたいな奴とは「英語が苦手だったが自分で何とかした」タイプのことです。
確かに英語がものすごくできる人には何人か遭遇してきました。しかし、そういう人は全員(1)英語が元々できた人か(2)英語が元々好きで中学時代から英語ばかりやってきているタイプか(3)帰国子女かハーフに大別できました。
しかし、こういう人たちは自分のロールモデル(目標となる人物)としては一切機能しませんでした。だって「こういう風になりたい」と思えないでしょ?。
僕が求めていたのは、僕みたいな「英語がからっきしっ駄目だった毛で、大学入学以降何とかした」というタイプです。こういう人なら、その人が実践してきた方法論や努力を参考にできそうです。
しかし、僕はロールモデル(目標となる人物)に出会わないまま27歳になりました。
それまでに5000万語以上の多読を継続し、言語学でも最難関と言われるNoam Chomsky の著作を読みこなせるようになりました。
気づいたときにはこうなっていたのです。
ロールモデル不在のままよくここまでやって来れたものだなと思うこともありますし、一方で、目標となる人物が近くにいたらもっと良かったのになとも思うこともあります。
4年ぶりに大学に通うようになり、僕は少しだけ視野が広くなりました。「勉強を一生懸命して京都大学に入ったけど英語がからっきしダメで、研究のために洋書を読まなければならないのだが、まるで歯が立たない」という、かつての自分と似たような悩みを抱えている人が目に入るようになってきました。
京都大学だからこそこういう人たちが多く発生してしまうのか、それとも全国的に洋書を読める人は本当に少なくて、悩みを抱えている人が多いのかは分かりません。
しかし、何を偉そうにと思われるかもしれませんが、自分自身が「英語が大の苦手⇒洋書しか読まなくなった」という人物のロールモデルになってもいいのではないかと考えています。
人口の99パーセントくらいは洋書が読めなくても苦労することはありません。なので僕が発信する情報は無益です。しかし、本当に困っている1パーセントの人にとって有益になるように真剣に考えているつもりです。
最後に、洋書が読めるようになりたいという真剣な悩みを抱えている人へのアドバイスで締めくくろうと思います。
洋書を読むためには(1)基本的な文法、(2)まともな語彙力、(3)圧倒的な多読量、が必須です。さらに、英語を書くなり話すなりして日々読んでいる表現を使ってみるとより一層の効果が得られるはずです。