1番バッター:図書館蔵書のレベル(数)
注意:僕は洋書以外読まないので、洋書のみでの判断となります。
京大文学部図書館 >>>>>>>>> 僕が行っている大学院の図書館
2番バッター:学部生の質(頭の良さ、勉強にどれだけ打ち込めているか etc.)
京都大学 >>> 僕が行っているアメリカの大学
3番バッター:大学院生のレベル(頭の良さ、勉強への打ち込み度合い 等)
京都大学 ≦ 僕が行っているアメリカの大学院
学部生の9割は地元アメリカ人。それに対して、大学院生の大半は留学生。
世界中から優秀なのが集まってきている。というか、優秀なアメリカ人が足りていないので、優秀な学生を全世界から輸入してしまっている。
それで、研究のレベルとか、世界ランキングなどを上げていく算段。
学部生からは高い授業料をとり、大学院生(特に博士課程の学生)は授業料免除で給料支給することにより、インドなどの優秀な学生を囲ってしまっている。
なので、学部生は京大に遥かに劣るが、大学院生は、理系の場合は京大と同格、(言語学などの)文系の場合は、京大の大学院生より数段上という現状を作り出してしまっている。
僕が海外の大学院に来て、一番感じたのが、この大学院生tと学部生のレベルの差。
京大なら、文系ならば学部生の方が数段レベルが高かった。
その理由は、大学院生は、学部が京大ではなかった人たちが大半を占めているから。
海外の大学院に来てみて、この現状を見て、僕が通っていた水泳スクールを思い出しました。
イトマンでもどこでも、多くの水泳教室は、「一般コース」と「選手・育成コース」に分かれています。
一般コースは、「4泳法泳げるようになること」とか、「水に苦手意識を持たないようにする」などの目標設定をしています。
要するに、「お遊びコース」です。
一方、「選手・育成コース」は、ジュニアオリンピック出場とか、オリンピックでメダル獲得といった目標をもって、成果を上げることを主眼にしています。
今、僕が通っている大学院も、こんな感じです。
成果というのは、論文を量産することで、一流の学術誌に論文を載せることが、成果の大きさになります。
そのためのテクニックがあることも、こっちに来て初めて知りました。
進学校的な風潮があります。