林修によると、「日本の受験はゆるく、本当に優秀な人はまず落ちません」とのことです。
だとすると、落ちてしまっている人の中に、優秀な人はほとんどいないということになります。
つまり、優秀な人が学歴コンプになることは、そうそうめったにあることではありません。林修が正しいのなら。
僕自身、実に様々な人に会ってきましたが、あるパターンがあることに気が付きました。日本では、学歴コンプレックスを発症している人にはたくさん出会いましたが、その中に優秀な人はただの一人もいませんでした。
学歴コンプさんたちの口癖の一つが「親ガチャ」です。
彼らの言いたいことは、「俺らは本当は優秀だけど、親や家庭環境のせいで大学入試で振るわなかった」ということでしょう。
京大で見た光景
僕が京都大学に入って驚いたのが、メディアが作り出しているイメージとは裏腹に、かなり貧しい家庭の出の学生や、両親が高卒の学生などがわんさかいた点です。
例①一週間の食費が1000円。それ以上は負担できないので、何とかして廃棄弁当を入手していた者。
例②一か月の家賃が400円の吉田寮でしか暮らせない発言をしていた先輩。私が「熊野寮2000円くらいですよ」って言ったら、「高くて手が出ない」とのこと。
確かに、学歴コンプの人たちは、「受験で振るわなかったのは自分のせいではなく、家庭環境のせいである」と思い込んでしまえば、心理的に楽です。
京大生を見ても、「あいつは家庭環境が良かっただけで、オイラは、受験で振るわなかったけど、それはオイラの家庭環境のせいで、オイラは実はあいつと同じくらいか、それ以上優秀なんだ」と思っていられれば、何かと楽なものです。
しかし、現実は全くそうではありません。
僕がいた洛南高校には、医者や弁護士のご子息がたくさんいました。
つまり、彼らは、エリートで裕福な家庭で育っているのです。
そして、大半が受験で散っていきました。
ということは、親ガチャという要素は、大学受験の合否に直接の相関関係はないのです。
学歴コンプさんたちが、何とかまっとうな考え方に戻るためには、親ガチャなどといった他責思考をやめられるかどうかが重要になってきます。
ただ、僕は、これができないから学歴コンプさんは学歴コンプさんなのであって、きちんと自責思考に変えられる学歴コンプさんは初めから学歴コンプさんになっていないような気がしてなりません。
学歴コンプさんたちがよく口にする言葉第2位は、「高学歴にも無能がいる(⇒ だから高学歴かどうかなんて意味ないんだ)」です。
これは、日本の大学入試制度の本質が全く分かっていないとしか言いようがありません。
日本の大学入試の本質
優秀な人を選抜するために大学が毎年実施している制度⇒間違い
学生の答案を見て、「このレベルの答案を書いているような人には、さすがにうちに入ってきてほしくないな」と、大学側が判断するための制度。要するに、無能をフィルターにかけるため制度 ⇒大正解
なので、「高学歴にも無能が混じっているので、学歴なんて意味がないんだー。」という主張は、確かに一定の正しさはありますが、大学入試という制度のそもそもの目的である「どう落とすべき人を落とすか」をはき違えてとらえてしまっているように、思えてなりません。
たとえ大学に「こんな答案を書いているようじゃ、うちに入ってきてほしくない」と言われても(実際にはそういう風には言われないけど)、ちゃんと自分の実力不足を認めて、自責の念をもっていれば、まあ、そのあと何とかなりそうな気はします。知らんけど。
しかし、大半の学歴コンプさんがやっているように、「親ガチャ」だの、親や環境のせいばかりにして、挙句のはてには、他人の努力や実力を何としても認めないぞという強い意志の表れである「高学歴にも無能はたくさんいるし、学歴なんて意味ない」といった考え方をしていたら・・・・・・
その後どうやって成長すんだ?
まあ、ワイの知ったこっちゃないが・・・・。
ちなみに、
ワイが一番成長した(?)ときのはなし。
MIT落ち ⇒ チョムスキー全部読み。
結局、MIT 落ちたのは仕方がないとして、そのあとに、「自分は家庭環境が悪いから」とか、「MIT にも無能はいるし、学歴なんて意味ない」って仮に僕が20年も30年も言い続けて、いったいどうなるの?
そりゃ、誰だって3日や4日くらいはそういう風に考えたり言いたい気分は分からなくもないけど、一般的な学歴コンプさんは、こういうこと何年も、何十年も言い続けるから、困ったもんだ。
ちな、ワイは、「お前落ちてるから」という知らせを受け取って、次の日の朝起きたら、なんか泣いていたんだけど、泣いた理由が、お前らが想像しているのと、170度くらいずれてる。
「○○(人名、MIT の歴代の博論をワイが読んで、一番ダメな作品を書いた人物)より下なのか。」
これで泣いた。アメリカ人の友達に相談したら、笑われた。
Chomsky 全部読みの話に戻るけど、
これはマジできつかった。
一番きつかったのは、80年代くらいの著作を読んでいるときだったな。終わりが見えないから。
そんで、1950年代の Logica structures から始めて、2023年の Miracle creed でいったんの終わりにしたのだけど、終わった時には、達成感というより、なんか自分がボロボロのぼろ雑巾みたいになっていた。
この、チョムスキー全部読みというたくわえがあるから、今、ゲームに時間を溶かして、予習をしていかなくても、「Hiro、お前はよくやっている」と言われる状態を作り出せている。(いつまで続くか分からんが)
ちなみになぜ Chomsky 全部読みをしたのかって?
MIT 落ち = 実力がないと判断された
ということは、とれる選択肢は限られていて、
①その分野をやめる
②学歴コンプさんみたいに、他責思考&「他人の努力とか実力を死んでも認めない」路線を貫く
③自分が強くなる
典型的な学歴コンプさんの一生
10代:学歴コンプ発症
上の②の路線を突き進む。
SNS 等で、高学歴を見るとムシャクシャしてくる。
高学歴の YouTuber に対して、offensive なコメントを書いたり、あの手この手でせっせと攻撃。ネットの匿名性が有利に働く、まさに追い風の時代。
たまに、誹謗中傷のターゲットが心を病んだり自殺したりするので、こうした攻撃は、「無でではない(?)」
ターゲットAがいなくなると、新たなターゲットBを探す。
たまに、ターゲットにした YouTuber とかが自分に反論して、自分を打ち負かすことがあるので、自宅とかを特定して、フィジカルのダメージを与える。(今のワイがこれを実行されている状況。学歴コンプは海をも超える!)
20代:本来は、自分のスキルとかを蓄える、「プロとしての土台」となる十年間のはずだが・・・・。
磨いたスキルは、誹謗中傷のスキルとか、自分と異なる意見を持つ高学歴をどうやって黙らせるか(自宅特定;個人情報特定;脅し;いやがらせ行為 etc.)
30代
40代
50代
己が敵をも救う、それが人助け専門家
キリストの教え:右の頬(ほお)を打たれたら、左の頬を出しなさい。
人助け専門家の教え:右の頬を打たれたら、打ったやつを人助けすべし。
以前から、学歴コンプさんから攻撃はありました。
だからこそ、YouTube のコメント欄を開放していないのです。
しかし、アメリカに行って、私の居所がばれてしまってせいけ、彼らの攻撃はより苛烈さを増した気がします。
相当な悪意も感じます。
さて、人助けするといったものの、相手のことがよくわかっていない以上、あまり有効打は望めません。
年齢が30を超えていたら、はっきり言って、もう治癒の見込みはありません。20代でもかなり厳しいです。すい臓がん(死亡率95パーセント)を完治するよりまだ難しいです。
ただし、学歴コンプっていうのは、「親ガチャ」といった、他責の念を捨てることと、ちゃんと受かっている側の努力や能力を(ある程度)認め、「高学歴にも無能がいるから、云々」という思想を捨てることが、大きな一歩だと思います。
僕自身、「クッソ」と思う経験はあるし、(MIT落ち)、むかつく研究者も確かにいます(誰かは言わないけど)。
しかし、相手のやった努力を認めるようにすると、あんまりそういう気持ちを感じなくなります。
今の日本全体に言えることだし、学歴コンプさんにはもっと当てはまると思いますが、今の日本、特にSNS では、「親ガチャ」論争が度が過ぎて活発すぎますね。