林修曰く
①日本の受験はゆるい。
②よって、本当に優秀な人が受験に落ちることはまずない。
③日本の受験は元からゆるかったが、近年の少子化によりより緩くなっている。
近年のYouTube 等SNSを見てワイが危機感を抱いた点。
①親ガチャ論が過度
②「東大に入れるかどうかは親の金次第」論
③学歴コンプ勢による「高学歴にも無能がいる」 (⇒「だから学歴なんて意味ないんだ論」)
確かに、僕の懸念1~3に関しては、ある程度正しい部分はあります。
確かに、親が優秀でお金持ちなら(懸念①②)、難関大学の入試も突破しやすいかもしれません。
懸念①②を突き詰めていけば、「エリートの子は、大学入試でも勝ちやすく、エリートになりやすい」という、(誤った)思想にたどり着き、エリートと非エリートという国民の分断になりかねません。
ワイが見た真実
洛南高校に入って
①(ワイは違うけど)医者の息子とか、弁護士の息子とか、金持ちエリートのご子息が多い
②みんな京大を目指す
③大半は受験で散る
京都大学に入って
①貧しい家庭の子が多い
例:(a)コンビニの廃棄弁当を何とかして入手してその日暮らし(そいつの食費は1週間あたり千円)
(b) 家賃400円の吉田寮でしか、金銭的に生活できない
②両親が高卒とか、ゴロゴロいる
③田舎神童が結構いる(都会の方が入ってくる情報の面でド田舎より有利と一般的に言われているが・・・・)
④一定の割合で毎年失踪していく(退学、富士の樹海、東尋坊 etc.)
ワイが今まで見てきたいろいろな人(京大内外)から判断するに、日本の大学入試は、林修が言った①~③がより真実に近いです。
日本の大学入試は、京大などは特にそうだが、「優秀な人をとる」ことよりも、「どうしてもは言ってきてほしくない人を弾くための最初で最後の砦」としての役割が強い。
だからこそ、優秀でない人も普通に入ってくる。だから、ワイの懸念③は、論点がおかしいというか、入試のそもそもの役割をはき違えている。
大学側は答案のみを見て入学者を選抜するのだが、「こんな答案を書いている人にはどうしても入ってきてほしくない」ということを一番大事な基準にしている。
そうやって採点基準とか、各々の問題の配点が決められる。
林修が言うように、近年は少子化で、受験生の母数が半減したにもかかわらず、大学の定員が削減されていないので、こういうフィルターを通過してしまう人たちは普通にいる。
ただし(ここからが重要)、フィルターにひっかかった側は、大学から見れば、「もっと入ってきてほしくない人たち」であり、林修流に言うなら、優秀さの点で「ずっと下」。
なぜ学歴コンプは治らないのか
私の経験上、学歴コンプレクスは、一度発症してしまうと、基本的に治りません。
30になっても、40になっても、50になっても、80になっても、「東大生は無能ばっか」、「東大京大多科目できるだけ」、「高学歴にも無能はいる(⇒だから学歴なんて意味ないんだ)」ということを言い続けます。
さらに厄介なことに、学歴コンプさんは、ネットでも、現実世界でも、高学歴を見つけてはいやがらせ行為をしてきます。
私なんか、今アメリカにいますが、こうした学歴コンプの餌食になっています。
やっぱ、学歴コンプは治んねぇんだな。
私なりに学歴コンプが治らない理由を考えてみた。
学歴コンプが治らない究極の理由は、コンプさんたちが他責思考に陥っているからだと思います。
親ガチャ論なんてまさにその典型例です。
大学入試っていうには、(ごく一部の例外を除いて)林修の言うように、ゆるい。
だから、繰り返しになるが、「優秀な人を選抜するため」の行事ではなく、「答案のレベル的に、どうしても入ってきてほしくない人を大学側が弾く」ための行いだととらえるのが妥当です。
そうでないと、おかしいことがいっぱい出てきます。
学歴コンプさんが、「学歴なんて意味ないんだ!」というおのが主張を通すため、繰り返し繰り返し指摘する点の一つである、「高学歴なのに無能がいる」点。
これは、私の理論を使えば、何の問題もありません。
もっとレベルの低い答案を書いた人が大学側に弾かれているだけです。
つまり、もっと下が弾かれているのです。
無能レベル20 vs 無能レベル100。
そして、あと一人受け入れなきゃダメという状況
大学側がどっちを弾きたいか、何となく分かるはずです。
このように、ほとんどの大学入試は緩いため、京都大学でさえ、べべ層は、本当に大したことはありません。
もし、「京都大学に上位で受からなければいけない」のなら、親や環境はそれ相応に重要な要因になりえます。
例えば、陸上で「9秒台ではしらなければならない」となると、やはりウサインボルトの家系に生まれると、勝算は飛躍的にあがります。逆もまたしかりでしょう。
しかし、「100メートルをはしききりさえすればタイムは不問」だと、大体みんなできます。
ここに「俺は親ガチャ外れたから」とはなりません。
京大べべ層もこれくらいです。
なので、親ガチャは、ほとんど関係ありません。
証明終わり。
なのに、学歴コンプさんたちは、「親のせいだ」とか、「環境のせい」とか、ああだこうだ言って、いっこうに「自分の力が足りなかった」と認めようとしません。
確かに認めたとしても、「親ガチャ外れ」等、結局他責方向に走って終わりです。
すでに証明したように、日本のぬるすぎる大学入試の下では、ほとんどのケースで「親ガチャ」要素は決定打になりません。
もし仮に、日本の大学入試がもっと熾烈で過酷な競争なら、親ガチャ要素も大きな要因になったでしょうが、現実はそうではありません。
やっぱり、学歴コンプさんたちは、自分の責任が一番大きいということを心の底から自覚しない限り、どうしようもありません。
そこで、人助けの神と称されし、この人助け専門家である僕の出番がやってくるわけです。