1,僕から見たら不思議だった達人たち。
TOEIC満点講師の中には、フランス語検定1級や、韓国語検定1級など、英語ではない言語にも熟達している人たちがいます。
これは、本当に不思議でした。
だって、彼らの仕事は英語を教えることです。
もしくは、英語に関する著作を書くことです。
なので、英語以外の言語を勉強しても、仕事に直接結びつかないのではないかと、僕は思っていました。
さらには、こうした他の外国語を習得するに、かなりの労力が必要になってきます。その結果、本業である英語がおろそかになってしまうのではないかと、以前の僕は思っていました。
2,やっと彼らの気持ちが分かるようになった。
繰り返しになりますが、高校時代の僕の英語の偏差値は45でした。つまり、英語では全国平均以下でした。確かに、高校3年の時何度か受けた模試の内、1回か2回は、全国平均店を1点か2点上回ったことはありましたが、所詮その程度でした。
そのまま大学に入るとどうなるか。
大変でした。
なぜなら、英語文献を読んで当たり前、読めて当たり前の世界です。
そこで英語が読めないことは、かなりのコンプレックスでした。
しかし、練習に練習を重ねた結果、今ではまあ人並みに読めるようにはなったと思います。
どれくらい練習したかというと、
①文法をしっかりやった。
②英検1級用の英単語を覚えた。(本番では語彙問題25問中ミス1問)
③雑誌CNN English Express のバックナンバー90冊以上を聞きこんだ。
④多読5000万語以上した。(1か月100万語のペースで4年。そこまで読めるようになる前段階に1000万語の下準備)
これでやっと、普通に英語を読みこなせるようになってきました。
ただし、哲学書や古典文学などにはまだ歯が立ちません。
しかし、並レベルの洋書なら、不自由なく読みこなせるようになりました。
ここまでくると、一種の虚無感みたいなものに襲われます。
昔は、洋書=大変でしたが、今では、洋書=普通の本です。
特に困難には思いません。
本当に普通の本にしか思えないのです。
昔持っていた熱のようなものがどんどんなくなっていきます。
「うおー、やってやるぞ!」から、「あ、読もう。」に変わるのです。
もう、何も感じません。
ヤングジャンプを読むのに、「うおー、やってやるぞ」と思わないのと同じ原理です。
せいぜい、「あ、読もう」くらいにしか感じません。
もしくは、「あ、誰々の新刊出たんだ。読もう」くらいです。
もう完全に虚無感です。チャレンジ感ゼロです。
そして思いました。
英語じゃない外国語をやろう。
言語学をやるものとして、古典ラテン語とギリシア語は必須です。
なので、これらをやろうという発想になるのです。
しかし、日本人が日本語で書いたこれらの言語の文法書は、魅力的なものが少ないですね。
しかし、Cambridge やOxfordから出ている文法書はすごいです。
本当に詳細で、しかし読んでいて飽きない。
本当にすごい。よくぞここまで調べられた、と思わせるほどのリサーチの上に成り立っています。だからこそ、内容の濃さが半端ではありません。
Evert van Emde Boas, Albert Rijksbaron, Luuk Huitink and Mathieu de Bakker (2019)らの手によるThe Cambridge Grammar of Classical Greek, Cambridge; Cambridge University Press.はそういた驚異の書のひとつです。
発音から語順、意味、ありとあらゆることが、詳細に記述されています。
もちろん、言語学の基礎的な背景知識があった方が断然読みやすいですが、一つ一つの専門用語に適切な解説がなされているため、最悪なくても大丈夫なはずです。